
彼是20年にもなるかな、私独りが撮り下ろし広告頁もない月刊誌で桜田商事さんとのやり取りの果てに発禁状態になったH系雑誌[THE TENMEI]があるが、まあ良く売れた雑誌で最後の頃実売数月刊60万部を超えていた。
週刊誌・FLASH・が其の写真を載せたいとあって、助手が古いフィルムを引っくり返していた。
FLASHは取材もしてくれて雑誌撮影時のエピソードや、桜田商事さん其の手下メディア、記者クラブ、検察との経緯等諸々を聞いて行った、如何なる頁になるかな・・・。
写真は取材に来たFLASH記者さん豊沢君と私。

少し前になるが、半月くらいかな?徳光和夫さんのラジオ生番組にでた。ニッポン放送の土曜の朝「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」。番組の中で出ていたが、徳光さんとは旧知の仲で、同年代の(巳午会)という集まりがあって、面子は政財界、役者など錚々たるメンバーである。其の会は大体が料亭でやるのだが、徳光さんのダンス付きの「お嫁サンバ」は特筆もの。身体の動き素早し、なかなかである。
MCとしての徳光さんは、当たり前だが、私も今迄色々とインタビューを受けて来たが、こんなに話しやすいインタビュアーというかMCは、かつてなかったな。当然とは云え、昨日今日ではない。才能だ!徳さん、ありがとう。
尚、たった今、BS-TBSで「関口宏の昭和青春グラフィティ」にVTR出演している。テーマは、「蜂の一刺し」の榎本三恵子さんの写真集を撮影したことがあるが、その経緯を語ったものである。面白いよ。

甚六オーナー、Kohheiこと太田が半年オーバーでHAWAIから帰って来た。
何度も甚六HAWAI店には店の番頭若手と1ヶ月か長くても3ヶ月位で交代で行っていたのが、何がどうしたのか半年以上返って来ず、なにしてんだKohheiはって甚六男組連でアレコレ噂しきりであった。
矢張りKohheiが居るのと居ないでは店の盛り上がりも違う訳で、此の夜は日野さんドン小西にKohske とワイワイガヤガヤ例によって例のごとしであった、然りとて意味のないエール交換ごっこなんだが、些かは気が弾み時間が過ぎて行くのも悪くないものだ。


パフォーマーToastie若しくは熱海宝子を撮りかけているが、新宿PIT INNで[秘宝感2012]と名を打ったフリージャズバンドにボーカルとして宝子が参加している、其のパフォーマンスを撮った。
ジャズ其のものは20代半ばから六本木MAXホールに入り浸り、笠井紀美子と世良譲トリオを毎晩の様に聴いていた時代もあったが、所謂フリージャズなる世界はスタンダードジャズと違い何処からがフリーなのかちゃんと聴いた事は無かった。
ドラムの斉藤良がリーダーとして2010年に[秘宝感]を結成してアルトサックス>纐纈雅代・ピアノ>スガダイロー・ベース>佐藤えりか・小鼓>石井千鶴にボーカルと云ったら良いのか熱海宝子と云う面子である。
サックスの纐纈にピアノのSUGAは技術的にもガツンとしてて良かった、ジャズバンドに小鼓と云うのは初めてだったが其の能ないし歌舞伎的な謡は違和感無かったな、もっと和的な音界を外して其れこそもっとフリーに跳んで発音発信したらいい、宝子の歌と云うか喋りと言うかは面白いのだが未だバンドの中に居る感じで、もっと外れて唯我独尊界音をと感じた、イメージに形等無いのだが、何か決定的な客を何らかのフォームで打ち崩すようなタッチが必要だな、客とは全てマゾなる群れでしかない。
バンド全体はと云えば個と個が未だ予定調和の中に居る、独り独りがもっと奔り切らないと、ノリとかキモチ良さとかでは無く、一々自分の知らない自分に行ってないとね、徹底した混乱かな。
ライブハウス新宿PIT INN近くに私が40年余も前、青年真っ盛りの頃夜を突っ走っていた時代のベースだったBARがある、六本木のMAXと新宿2丁目のNADJAは文字通り青春のリングであり舞台だった、酒と女とケンカの延々たる夜達だった。
撮影が終わりフラリと雨上がりの道を行くと直ぐ側にBAR・NADJAはあった記憶では木造の建物の感じだったのが白いタイル粧しをした店構えになっていた、誰がやっているのか未だ営業しているようだ、殆ど東京に戻った身だ其の内に覗いてみるか。


銀座BLD・GALLERYから出す雑誌若しくは写真集或は両方の為のモデルに会った、ディレクトする長澤氏に彼女の個人マネージャー氏と、恵比寿3丁目の甚六で打ち合わせをした。
彼女は一種パフォーマーと云うか色んな事をやって来ているようで、只の女モデルと云うのと違い最終的には上がった写真を2人でアレコレとイジリたおしオリジナルしようかとか諸々アイデアが行き交った。
ピーター・ビァードのやって来た仕事と付き合いのあった有名人とか彼の生き方、詰り人生の話しや中でもイギリスの画家フランシス・ベーコンの事とか果ては50才で発狂した哲人ニーチェは梅毒が原因であったとか、普段余りしない話しが登って久し振りのマッカラン12年とともに盛り上がった。
2年程軽井沢の外れがベースになっていたが4月からか東京に拠点を作り、東京がベースとなり合間に軽井沢通いとなる。
さあ、東京でデカイ徒花を咲かしてみるか。
皆さん加納典明は東京に居ますから仕事に遊びと何なりとお誘い下さい、面白い事をやりませんか!

銀座BLD・GALLERY長澤氏ディレクトの雑誌の打ち合わせに行って来た、モデルの候補とどういった写真にして行くか話したが結局、広告写真でもあるまいし条件写真な訳ではないから、撮りながら方向が出て来る筈と云う事になって、兎に角撮り始めようと云う事になった。
何れ位の出稿になるか、あくまで以前やった月刊誌《典明》とは違って作品としてのチャレンジだから、どんな世界になるか楽しみとしよう。
まあしかし私が撮り下ろす女写真だから中途半端な写真ゴッコにはならない筈で、請うご期待と結う事にして下さい、世に出て行くのは少し先になるが。

少し早めのバレンタインライブに行って来た、マリーンをこの前聴いたのも六本木のSTB139だった。
殆どの曲は聴いた憶えのあるものだったが、当たり前だが流石と云うか只ならぬキャリアというか、マリーンを生で聴くとどういう世界に持って行かれるか、承知はしていても・中々だわい・と云わざるを得ず、ヤッパリ来て良かったとなる、この前の六本木より、あれだけ安定した歌唱力なのに何故か今回の方が良かった、マリーンマニアには此の安定したスタンダードジャズないしフュージョンを主にした歌唱力界が嬉しいのだろうけど、典天界から聴く癖のある私からすると、欲張りな話あの歌唱力を全く違ったアプローチと云うかチャレンジした世界を聴いてみたいと、ライブを聴きながら思わずにはいられなかった。
私の世界も含め凡そアートに関わる人間として、最も必要なのは安定より止まる事のない自己チャレンジに他ならず、其の危険の海を泳ぐ飽く事のない勇気が有るかと云う事で、目先の帰巣本能の繰り返しでは一度しかない人生が勿体無いと云うもので、矢張り固有に一度しか生まれない自分を、生きてる間に使い切らないと、人生死ぬ間際に走馬灯とやらが廻ると云う、要は廻ってからでは如何ともし難いと云う事です。
各々方、努々おかしなアイデンティティごっことか自分探しとかの玩具ごっこしてないで、己を己の戦地の先端に位置する事を意識しようではないですか、周り等貴方にとって単なる景色と思われよ、心の青年達よ突出せよ。
写真は私とマリーンにSONYの杉田君です。

暮れの銀座BLD・GALLERYでの写真展での写真集が来週以降に各書店とAMAZONで発売。
・ナディッフアパート
・shelf
大手書店(紀伊国屋さん等)には通常注文を入れて下さい。
またamazonでも販売しております。
・BLD・GALLERY(サイン入り)
・加納典明オフィシャルサイト(サイン入り)
何度も告知していますが、此の写真集[FUCK]は1969年夏に平凡パンチ,NY特集号でNYに行った折りにパンチの仕事が終わってから撮り下ろしたもので、当時NY在住だった写真家、タッド若松さんやパンチ編集者、石川次郎さんの協力を得ながら、草間弥生さんのパフォーマンスを始め白人・黒人を始めとした性を通して、当時の時代背景ヴェトナム戦争・サイケデリック・ビートニック・五月革命・BIG野外コンサート等々、若者文化が唸りを上げる状況に、私なりに人種差別、性差別に繋がる社会えの意見具申と云うか表現であったと思います。
此の作品は性格上なかなか世に出ず以前にも寺崎央氏がペーパーバックで出版しようとしたのだが、検閲機関の積もりか!取り次ぎが扱いを拒否した事がある。何千部かの本が廃棄された。勘違いも甚だしいわけで、お前等に文化を左右する権利と権限が何処に有るのかと言いたい。
媒体に出たのは、記憶に有るのはカメラ毎日と芸術新潮位だったと思うが、43年の時を経て世に出た訳で、漸くにしてガツンとした写真集として出版された。NY、ヨーロッパでも発売され43年前の写真がどう評価されるか楽しみと云うものです、何れ時を経れば希少本の一冊になると思います。お買い上げをば!!


銀座BLD・GALLERYで細江英公さんの約半年に渡る個展がオープンした。
佐久からトンボ帰りでレセプションに行って来た、細江夫妻は勿論たくさんの関係者が集っていた。
中でも森山大道に会うのは何十年振りかで、近年森山大道の活躍は目覚ましく、今更大器晩成でもないが森山ワールドは世界的な評価を受けての快進撃で、昔週刊プレイボーイの編集者加藤氏が平凡パンチでの典明ヌードに対抗するべく、ブレボケ写真でカメラ毎日等で評価高かった森山大道にヌードを何回か撮影依頼した事が有った、そんな事も有って人柄も含め何とはなしに彼にはシンパシイを持っていた。
其の森山が一時期助手をしていた先生が細江英公さんで、写真家としての評価は私が故杵島隆さんの助手をしていた頃から既に有名で、三島由紀夫の[薔薇刑]は写真媒体としては超傑作とされる。
細江さんの今回の個展は彼の集大成展といってよく6期に渡るもので、第1期オープニングの[鎌鼬]は伝説の舞踏家・土方巽・を秋田で撮影したもので、新宿アートシアターだったか四肢夫々をロープ4本で引っ張り観客の頭上を行く姿は瞼から去ることはない、時々新宿二丁目のナジャのカウンターで見かけたが25.6の私には眩しい存在であった。
其の頃のナジャはアンダーグラウンド文化人の巣とも云えて、最も普通文化人と云えば五木寛之さん位で、唐十郎主催の状況劇場に参加していた、役者兼人形師の若き四谷シモンも細江さんは撮っていて第2期に[シモン 私風景]として登場で昨夜のレセプションにも来ていた、ナジャ時代のシモンは当然周知の仲で、随分と細身になっていたのが気になるが、其の内に一度シモンを撮るかな。
写真の細江英公さんが持っている写真が印象的で、大きくして見せたい位で写っているのが・三島由紀夫・江波杏子・細江英公・森山大道・と勿論若き日の写真で、江波杏子さん魅力的で存在感に満ちてマジマジと見てしまった。
三島由紀夫を撮った[薔薇刑]は第6期4月25日からとある、此の作品は必見ですぞ。

東京を離れベースを長野に移し2年を過ぎた、光陰矢の如しである。
其の結果と云う訳でもないが、自身の過去と現実と未来を東京に居ては意識出来ない、感じる事が出来ないものが有ったと云って良いだろう、勿論其れ等は答え等ではなく茫漠としているのだが、私には今の年令と云う事も含め含蓄するに、19才で杵島隆さんの門を叩いてから50年と云う年月を克ってなく、映画のスクリーンを見るような将又走馬灯が廻るのを見るように、意識回帰できている。
年末に故杵島隆師匠と銀座BLD.GALLERYでのコラボ展と名古屋.名鉄百貨店でのキヤノン協力による個展は、写真家で有りながら極端に少ない私にして珍しい事だった。
1969年暮れに個展FUCKで世に出てからと云うもの、数多のメディアが雨振るが如く色々な事を、写真家と云う枠を超えた形で持ち込んで来て其れ等の殆どに関わった、生来の経験主義的性向とも相まって、他のメディアは如何なる人達が如何なる構造で如何なる感性で仕事しているのか興味心も大であった。
反面写真作家としての作品発表が行動力大の私にして少なく、又此れも多分に性格も含めて個人主義的で、団体とか協会とか何かしら連んだ形式の世界は苦手で誘いが有っても殆ど・一匹狼・で結構と社会を狭くしていた。
単純に東京よさようならと云っても現実は東京と関わらずにはいかない訳で、其れ等がたった2年余でどうこうある訳も無いが妙に私の中で、近未来と遠未来が垣間見えて来ていて少なからず楽しさが心の奥地で揺らいでいる。
名古屋でのキャンヴァスプリントフォトにペインティングした作品は見る人皆が一様に加納典明と繋がらず驚きを隠せないでいたのには、そんなもんかいと云う感じで私は受け取っていた。
此の作風は暫くは続けるつもりで、出来たら世界規模での展開と評価を目指し遠慮容赦なくやってみるつもりだ。
一方、普通のと云っては何だが所謂写真界、此れ又世界規模の写真界に向け機関銃弾とはいかない迄も随分な作品郡を発表出来たらと考えている。
太り気味ではあるが肉体は問題無しだし根性も揺らがず90位迄はいけるだろうし、近標的として此処5年が勝負とやるつもりで己から何が具体といて出て来るか楽しみである。
写真はBLD.GALLERYキューレーター長澤氏と六本木ミッドタウンで。
さあ、各々方来年は自身の過去形の概念.価値観を燃えるゴミに打ち捨て、次なる己の奥地にチャレンジと行こうではありませんか。