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長友啓典との仕事


 
1967年 日宣美賞グランプリ受賞。
当時、若手グラフィックデザイナーにとっては、差し詰め文学界の芥川賞に匹敵する程の価値ある狭き登竜門であった。
故 イラストレーター小島 武と長友とはよく遊び飲み歩いた。66年にも長友と小西啓介と故 山田理英の3人と私は写真での共作の立場で応募していたが3人共準入選もしなかった。
その年に私が持っていた蛍光色のB全の紙を3人に見せ、此れを使わないか提案したが、3人共使わなかった。
次の年矢張り3人と応募作品制作して、写真を使い進行していたが、長友が諸々思考していたが上手くいかず、「加納あの紙まだ持ってるか?」と聞いた。「有るよ」と答え仕上がったのは、眩しく真っ赤な蛍光赤色にグレイのシルクスクリーンで逆光のシルエットにJANTZENの水着を着た女性を撮った写真をプリントした作品だった。
先週見舞った折に丁度印刷関係者がJANTZENのB5サイズを額に入れた作品を持って来て、なんだか絶なるタイミングを感じた。
日宣美賞授賞式でプレゼンテーターは1964年東京オリンピックディレクター亀倉雄策さんから賞状を手渡された。
後にアメリカから帰った黒田征太郎とデザイン事務所K2を作る時に、長友から「加納が入ってくれたらK3になるんだけど」と誘われたが断ったこともあった。
後年1993年・月刊 典明・を発刊することになり雑誌名は長友のアイデアで長友がディレクターとして2年続いた。途中、季刊誌ないし隔月刊誌で・スーパーテンメイ・や写真集・きクぜ・もあった。
晩年は些か疎遠ではあったが、若き頃60・70年代安保、ヴェトナム戦争、サイケデリック、等々青年たちが青年らしく行動的だったグラウンドで、よく遊びよく発想し楽しい青年期を共にした仲間であった。若き頃にインプリントした色々な念いは一生付いて回り生きる糧として日々呼応する。
長友 有り難うな!感謝!

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