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The Japanese disease 《日本病》



戦後、ほとんどの時代を自民党政権が担ってきたわけだが、私個人としては、生きてる間に一度は非自民党構造の時代を生きてみたかった。それが3年余前に民主党となり、私だけではないだろうが、随分と民主党政権には期待を持った。しかし当初の民主党マニュフェストには些か目先の美味しさばかりを謳って政治的公約にしては如何にもアマチュアっぽかった。
 
父親がマルキシズムの洗礼を受けた人だったこともあり、私自身の資質とは別に左翼構造をかなり教育されたことなどにより、ずっと現実とは違うノンポリ的ではあるが、心の底では左翼意識というのは、少なからず私を支配していた。単純に云えば、父親の教育力であった。私も70になり、創造者として写真を真ん中に色々なことに関わり生きてきたが、今突破せんと始めた、ジャンルで云えば現代芸術への道を開始している。もちろん、写真をやめるということは有り得なく、古今写真技術というものが発明されて以来、数多の画家が実は絵画制作の裏で写真をかなり利していたという事実がある。其のことに何の問題も無いが、絵画的世界の端緒に着くにあたり、経験と見識を広めていく中で写真と絵画の関係をより深く創造の未知世界が大きく拡がってきている。勿論アートというのは全て終着点はなく、そのプロセスの具体を現し続けるにすぎないが・・・、まぁ如何に自身に対する格闘力があるかないかに拠る。
 
話が逸れてしまったが、今の日本を見ると、かつて60年代から始まった「The British disease (イギリス病)」を思い起こす。日本もバブル以降失われた20年、政治経済、民、教育状況等、もう言葉にならないような状況を生きている。問題は社会構造をはじめ全てに渡り、地球という容れ物の中の日本の有り様は、正にイギリス病と同行異色と云えるのではないか。つまり「日本病」なのである。
イギリス病の歴史は余りに多岐に渡るので、各々で調べて欲しいが、実によく当てはまる部分がある。イギリスはどうやって1998年辺りからイギリス病を克服していったか、その混乱と経緯を日本社会は一度検証したら良いのではないか。鉄の女サッチャーを単純なヒロイズムで持ち上げる気は無いが、時代は究極に至ると やはり人を生む。それが暴走老人なのか、大阪の青年なのか、返り咲いた元首相なのか・・・。
 
昔、明治維新の折に、政治構造をイギリス、軍事構造をドイツ、だったと思うが、日本は範を得た。しかしそれは結局短絡的に云えば帝国官僚国家主義を作り、自己中心的な官僚軍閥が太平洋戦争敗戦へと導いて行った。云いたいのは、今日誰も知っていることだが、日本の一番大きなガンは、官僚組織とそれを行う役人達である、と同時に「御上ご尤も」と怒りを忘れ、もの云わぬ去勢された民、国民一人一人に巣くう子役人意識・・・。その顕著な例がメディアに現れている。
 
徳川260年がやった鎖国・・これは日本の地理的条件を考えるとやってはいけないことだった。織田信長という類稀なるセンスを持った為政者がいるにはいたが・・・。
幕藩体制の参勤交代とか士農工商という差別構造等を長きに渡り生きた人びとが培ったDNA・・イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが著した「利己的な遺伝子」の中にあったと思うが、「人一人の一生は、面々と続く家系(DNA)を次世代に運ぶ一艘の船でしかない」ということを、この歳になると実感として自覚する。ということからするとアノ260年掛けて深くインプリントされた鎖国構造社会での人心というのは一朝一夕には変えられないのは解るが、グローバルという意味で今を考え鳥瞰すると、其の民と為政者に渡る鎖国意識が顕在化してるに余りある。過去は決して帰ってこないのだよ、皆さん。時に歴史に範を取るのは必要だが、時代には、その時代のスピードというものがある。つまり時の移ろいというのは過去を背負って前へ行くという意識では今やグローバルレベルでは通用しない。
選挙の折、一票を投じるにおいて誰それに投票するということは、明らかに自分自身を選ぶということでもあるのですよ。この3年半のアマチュアイズムの失敗はあまりと云えばあまりであった。政治体制以前、経済体制以前に一番変革を必要とされるのは、民(国民)一人一人の認識と意識である。そうやって地べたからこの国の構造を変えていかないことには、如何にリーダーだのデジタル産業革命だの単焦点な捉え方では無い、根本的なところに立たねば結局何も始まらないのではないか。もうそろそろ小さな目先族、足下族的な官僚ごっこがクルクル小回りするメビウスの輪社会は見切りをつけようではないですか。とりあえず行動です。一票という名の。

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