Blog
 

未来都市への道???



銀座BLDギャラリーで、キュレーター長澤氏とシンガポールより来日中のビジネスマン加藤順彦氏と、シンガポールでの個展の可能性に付いてミーティングを持った。
加藤さんの話は明快で状況判断がしっかり出来ていて、シンガポールの国と社会の構造が良く理解出来た。
話の途中で思った事に、東京とほぼ同じ大きさの国土に約500万の人が住んでいると云うサイズだから可能なのかもしれないが、非常に未来的な社会のシステムを想像して思わずそう言った。そうやって機と自分の住む日本を考えるに、如何に此の国は前近代的な自縛状況にあるか、諸々あげつらえば政治・経済、習慣・慣習、憲法・法律、そして民意・民度が如何に現実的なグローバルスタンダードから遅れをとっているかという事を考えさせられる。何もシンガポールが未来的ではなくて、世界の普通と云う現実そのものではないのか。端緒にそれが現れているのが、ソニー、シャープ、パナソニック等々、世界の真ん中を走っていたブランド・カンパニーが今やその存立さえ危ういと、考えられない現実が起きようとしている。つまり、引き蘢り20年余と云われるが、この屈折した閉塞社会に住む我々の認識と意識が如何に呼吸困難に陥っているか、社会全体が自覚していない、地理的条件ゆえか260年の愚かな鎖国歴史にインプリントされたDNAゆえか。詰まり・日本病・其のものだ。
 
未来都市と云えば、シンガポールの自動車事情に関しての話だが、EVをどんどん主流にしていこうとしているようだ。考えてみれば、EVは、バッテリーさえ進化すれば構造からして部品点数等も遥かに少なく化石燃料車より低コストで出来るわけで、いずれ車は全てEVとなっていく時代が必ず来るだろう。それは地球上の車メーカー及び石油業界等からすると超脅威になるわけで、一足飛びにやろうと思えば出来ない事はないのだろうが、それをハイブリッドとか段階的なやり方で現実を誤摩化しているに過ぎない。自動車メーカーに限らずエネルギー関連の開発者が寄ってたかってノーベル賞クラスのバッテリー研究をやれば、あっさりEV社会が来ると思う。エコはもちろん車価格は最低2/3位になるのでは?これは見えていることなのに、段階的にしようとするのは人間社会の轍なのか。
 
少し前になるが、ホンダの社長が、外車に乗るバイクマニアが諸々改造を加えたりして楽しんでいるのを、些かの羨望を込めて語っていた。
私はバイク及び車が好きで、合わせるとおよそ100台近く乗って来た、そういった車好きからすると、とにかく日本のバイクは優れた性能を勿論有しているが、何れも是も同じで個性に乏しく魅力が無い。
そしてつい此の間、トヨタの新型クラウンが発表になった。驚いたことに、ショッキングピンクみたいな車に社長が寄り添っての発表であった。
社長命令で関東自動車工業から出戻った福市常務の仕事は、要するにデザイン優先ということに尽きる。それまでのトヨタのデザイン決定方式は、社員の投票とか民主的過程(ここが問題!)を積み重ね、超万人受けする、超非個性的なデザインで、魅力ある車が出来るわけが無い。よくもこういうやり方で車を作っていたものだと思う。呆れたよ!車歴50年に渡るが、個人的には一度もトヨタの車を欲しいと思った事が無い。
 
話は遡るが以前イギリスで、イギリス病による失われた20年によって車メーカーがバタバタと売りに出た事がある、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、ローバー、ミニ、ロータス等々結構なブランドが世に出た。その時、トヨタは潤沢に金があった筈だし、2、3社を買おうと思えば買えた筈だ。その意味は、非個性的な日本の車に、遥かに日本より歴史あるヨーロッパの車作りの血を入れる事だ。具体的には重要なポジションの人間を100人単位で送り、向こうの会社からも100人単位でトヨタに呼ぶ、それを10年位の単位で交流させれば、トヨタの中に、各ブランドの血がない混ざっていくことだろう。結果は既に証明されていて、アウディが買った、ブガッティ、ベントレー、ランボルギーニ〈技術供与?〉、BMWが買ったロールスロイスにミニ、インドのタタが買ったジャガー、レンジローバー等々各社の技術をもとに魅力的な車になり、販売実績も大きいと思える。あれを何故トヨタがやらなかったかと口惜しい。ハッキリ云って、日本人に車のデザインは無理だと思える。唯一、ピニン・ファリーナにいたケン奥山さんは別として。車のデザインというものは、基本的に民主主義とかチームとか多人数の合議制でやるものではないと断言する。才ある優秀なデザイナー1人に任せきるべきだ。メーカーがやることはそのデザインを法整備等々、最終販売条件に合わせること位で、基本ラインには触らないことだ。
 
昔LAで「韓国の車は1年で壊れてしまうよ」と聞いた事があるが、今や韓国メーカーは、サムスン・LGではないが、現代(ヒュンダイ)・起亜(キア)はヨーロッパから有能なカーデザイナーを引き抜き、日本での販売はほとんどないが、非常に魅力的な車になっている。トヨタの車と韓国の車を目の前に置いて、どちらが恰好良いか、一目瞭然である。今やそういう時代なのだ。
トヨタ創業家社長は車好きらしく、時にレースも走った事があるようで、ようやくトヨタに何が必要か判断ついて来ているようだ。まぁスピンドル・グリルやホイール・アーチとタイヤの間隔とか細かくデザインを掘り起こそうとしているようだが、ホイール・アーチとタイヤの間隔の事など10年以上遅れているよ。勿論、ヨーロッパでトヨタが如何に売れないかと云う事はもう1にも2にも、云ってみれば1000にも恰好悪いからで、印象が薄いからだ。アウディにしてもメルセデスにしてもBMWにしてもアルファロメオにしてもシトロエンにしても、どの車種を見ても一目で判別出来る。フロント・グリルとリア・デザインと全体のシルエットはやはり絶妙なる一体感が必要なわけでスピンドル・グリルとホイール・アーチのとこをリデザインしたところで全体の印象が破錠していては、いくら技術が凄かろうと、販売力があろうと歴史には残らない。
 
既に解っているとは思われるが、トヨタ社長豊田章男氏が此の先の範の一つとして良き例がある、旧VW〈かぶと虫〉やポルシェを造った故フェリー・ポルシェの孫フェルディナント・ピエヒ氏〈現VWグループ、トップ〉の先を行けるかだ、ピエヒ氏のやって来たやり方を細部に渡り知ることで、豊田社長は偶々ピエヒと同じく創業家直系と云うピエヒ氏と同条件にあるわけで、昨今ホンダではないが創業家の人材の継承は政治ではないが良からずとあるが、なんでこうも日本人は迎合したがるのだ、関係ない事だ其の人材の持つ能力才能さえが重要で生まれ合わせ等どうでも良いのだ、問題は豊田章男氏が周りの硬直した官僚めいた役員やコンサルタントの意見等に左右されない強固な意志が有るかに寄る、想像力と早い決断が常時必要で過去は〈カイゼン〉を始め拘らず全て未来へチェンジし続ける勇気と自信が具体として結果をもたらすことになって行く、要は根本としての・ガッツ・ですかね。
 
かたやホンダに於いても、世界のバイク市場を席巻したメーカーの作るバイクだが、ヤマハも、スズキも、カワサキも、スーパーバイクの頂点となると、それを本当に乗りこなせるバイク乗りが何人いるかだ。ブランドとしてはそれも必要だろうが、結局日本のバイクはどれも同じで個性があるとは云えない。イタリアのMVアグゥスタ、ドゥカティ、ビモータ、オーストリアのKTM、ドイツのBMW、イギリスのトライアンフ、アメリカのハーレー・ダビッドソン、何れも是も個性が有り、デザインが有り、夫々魅力的だ。何故日本から車及びバイクのデザインは無理なのだろう。性能や製品としての高さは抜群の技術力があるのに、肝心要の「何が人の心を奪うのか、何が人の欲望に火をつけるのか、何が人の心に突き刺さるのか」というところが欠けている。一度ホンダの社長にもトヨタの社長にも会って、その話をしたいものだ。
製品を作る、これはなにもバイクや車だけではない、家電その他にも等しく云えることだが、圧倒的な技術力はあるのに、先進するパッケージ力、イメージ力が皆無と云うのが現在の日本の停滞を呼んでいる。誰しも云うだろう情報力⇒此処からリーダー達が世界を如何に認識しているかが問題で、情報の選別解読能力に独自な判断とスピード持つ経済界トップ達が何れだけ居るのか引いては、これは経済、物作りだけの話ではない、此のIT・ネット時代には民一人一人に必要な日常感だ、増してや日本のメディア等鵜呑みにしない事だ、先般の週刊朝日に其の現実証明がある・・・。
 
今年も暮れる。政権はチェンジしたが、その具体的結果は果たして???
いずれにしても長々と述べたように、社会がダイナミックにうねるということは、個々の個性や考え方・意見等をハッキリ表に出す事が必要で、百年一日の如き私利私欲の為だけに存在する役人・官僚どもの為に奴隷のように働く無知蒙昧な衆愚の群れと化している人々に、いい加減に天に唾するような生き方を止めようではないかと。どうでも良いとは云わないが、小さな島一つで隣国とこんな状況を生むのが人間及び社会というやつだ。iPS細胞にしても、確かに大きな成果であるし勿論賞賛に値するが、将来的には倫理と云う問題で人間がその本質を問われるときが必ず来る。こんな偽物の民主主義の国で、唯一生れ落ちた自分のDNA及び能力・才能を残さず使い切れるようなグラウンドになっていくにはどうしたら良いのだろう。現実を見ていると、どうしても人間という実存の限界が思われてならない・・・、出来たら微かでも良い、楽観的でありたいものだが・・・。

コメントを残す

MESSAGE
from Tenmei

PAGE TOP