東松照明さんを偲ぶ会
名古屋出身では戦後最高の仕事をしていた写真家の1人・東松照明・さんが先年亡くなられた、勿論名古屋はおろか戦後の写真家土門拳、木村伊兵衛とも並び称される写真家で晩年は沖縄を終の住処とされ意欲的に仕事をされていた。
昨夜六本木で・東松照明さんを偲ぶ会・が催され写真家、関係者が集った。
丹野章さんが挨拶で東松さんの仕事、人となりを話されて中でも1959年に結成したVIVOに付いての逸話は時代が想像されて興味深かったVIVO(ヴィヴォ)とは、1959年7月から1961年6月まで存在した写真に関する写真家集団。そのメンバーは、川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公であった。
其の活動は後年中平卓馬・高梨豊、多木浩二、岡田隆彦によって、1968年に雑誌「PROVOKE(プロヴォーク=挑発)」が刊行され、第2号からは森山大道も参加して居るが少なからず繋がって行ったのではないかと思われる。
東松さんは1959年の伊勢湾台風の被害状況を撮っているが、私は高校生で台風被害で連絡の取れない同級生をトラックに乗り継ぎ膝上迄に水に浸かって弥富の田んぼ道を延々と歩いた、周りに金魚養殖から溢れた金魚が泳ぎ彼方此方に水死体が浮かんでいたのを覚えている、既に写真には可成り興味を持ち出している頃でもあった。
東松さんの写真で最初にインパクトがあったのは・家・シリーズの古い台所に置かれた鍋の写真で、其の質感に写真と云うのは・・・という強い印象を受けた。
写真は左から高梨豊さん荒木経惟さん森山大道さんです。