石川次郎⇒『平凡パンチ』
皆さんもご存知のことと思いますが、写真の男性は著名な編集者及びTVコメンテイター等々多彩なマルチメディアプロデューサーである、次郎さんとの関わりは40年余と古い、彼は現マガジンハウス社⇒は其の頃は平凡出版社と云い月刊平凡を始め時代の先取りをする出版物で名を馳せていた。
その始祖とも云える人が現取締役最高顧問・木滑良久・さんで其の右腕だったのが石川次郎さんで彼は当時の外国のエディトリアルにも長けていて、目の付け所が違っていた。
当時の若者文化の代表的な週刊誌として『平凡パンチ』があり恐らく電博を始め広告関係の時代を計るテキストにもなっていた。
私がパンチの巻頭ヌードグラビアを撮る切っ掛けを作ってくれたのは雑誌Hanakoをアイデアした矢張り当時パンチの編集者・椎根和さんで、彼とは青山三丁目にあったスナック〈マリーズショップ〉でよく飲んでいて、ママのマリさんは当時イラストレーター宇野亜喜良さんの奥さんで横尾忠則さんはじめグラフィック・ファッション・詩人・出版関係等々いろんな若き文化人達が集っていた。
そうやって椎根さんが何度かパンチでヌード写真撮らないかと誘ってくれた、当初私は〈パンチなんて世に害毒をながす雑誌だろ!ヤダヨ〉なんて云っていた、今の自分を思えば信じられない話だが、個人が時代と関わるタイミングは自身のチョイスもさることながら、矢張り人の力に他ならない。何冊か撮ったパンチのヌードが其れ迄のヌードグラビアとは違う世界を持っていたらしく、些かは売り上げにも貢献し・・・NYを若者視点で紹介とNY特集号をつくりに次郎さんとイラストレーターの小林信彦さんの3人でロケに出た、1ドルが360円の時代で、一人が500ドルしか持ち出せない時代であった。
・・・此の項続く。