石川次郎⇒『平凡パンチ』2
続きです⇒ 恐らく当時〈1969年〉一般紙も含め週刊誌で是だけ一冊丸々NY特集を組んだのは始めてでは無いかと思うが編集長木滑さんが次郎さんの提案を良く英断したものだ、1ドルが360円の時代で海外に持ち出して良い金額が一人500ドルとされていた時代のことだ。
NYロケは実に想い出深いもので20代半ばの3人は正に怖いもの知らずで、幾つかのゲリラ取材及び撮影を敢行した。
朝方ジョギングランナーが行き交うブルックリンブリッジに赤いマットを敷いてヌード撮影⇒エンパイアステートビルが垣間見える角度でセントラルパークの草むらでヌード撮影⇒地下鉄の中、少なめの乗客の中でのヌード撮影⇒エンパイアビルの屋上でヌード撮影⇒ランチタイムのウォールストリート、ビジネスマンが行き交う五叉路の真ん中でヌード撮影⇒当時未だ治安が最悪だった頃のハーレムでヌード撮影⇒ブルックリン側から川沿いの堰堤に裸のモデルを横たえマンハッタンをバックにヌード撮影・等々本当に今思い起こすと良くやったものだと・・・。
其の後、私の東京での個展の為の撮影にマンハッタンの上空をヘリで低空飛行で飛びながら、あれはスウェーデンの女の子だったな、機内で裸で横たわらせて裸体越しに窓外の夜のマンハッタンを撮り込んだ、ヘリの機長が撮影している後ろのシートが気になってしょうがないらしく、何度も振り返るのを同乗していたNY在住の写真家・タッド若松・さんが手伝ってくれていて、前見て操縦しろ!と何度か言っていたのを思い出す。
その後30代後半の草間彌生さんのイーストヴィレッジのスタジオで彼女が当時展開していたパフォーマンスを発売されたばかりのインフラレッドのカラーフィルムで撮り・・・其れ等が私を世に出した個展《FUCK》になって行った。
木滑さん次郎さんのお蔭である、結局物事は一人で出来ることも有るが、時代に釘を打ち込むようなオピニオンメッセージとなると時代とジャストタイミングでスケールを持った事でないと破裂しない、思うに彼達程 言い方悪いが《タマを持った》編集者には出会っていない・・時代のページを捲り時代に物申すことこそメディア人の 同時代者としての責任ではと考えるものです。
つまり、如何にコソコソ時代と寝ることしか知らないビジネスメディア人に成り下がってはいないか・・・ガッツある男出てこい!!