FUCK YOU 2012
東京を離れベースを長野に移し2年を過ぎた、光陰矢の如しである。
其の結果と云う訳でもないが、自身の過去と現実と未来を東京に居ては意識出来ない、感じる事が出来ないものが有ったと云って良いだろう、勿論其れ等は答え等ではなく茫漠としているのだが、私には今の年令と云う事も含め含蓄するに、19才で杵島隆さんの門を叩いてから50年と云う年月を克ってなく、映画のスクリーンを見るような将又走馬灯が廻るのを見るように、意識回帰できている。
年末に故杵島隆師匠と銀座BLD.GALLERYでのコラボ展と名古屋.名鉄百貨店でのキヤノン協力による個展は、写真家で有りながら極端に少ない私にして珍しい事だった。
1969年暮れに個展FUCKで世に出てからと云うもの、数多のメディアが雨振るが如く色々な事を、写真家と云う枠を超えた形で持ち込んで来て其れ等の殆どに関わった、生来の経験主義的性向とも相まって、他のメディアは如何なる人達が如何なる構造で如何なる感性で仕事しているのか興味心も大であった。
反面写真作家としての作品発表が行動力大の私にして少なく、又此れも多分に性格も含めて個人主義的で、団体とか協会とか何かしら連んだ形式の世界は苦手で誘いが有っても殆ど・一匹狼・で結構と社会を狭くしていた。
単純に東京よさようならと云っても現実は東京と関わらずにはいかない訳で、其れ等がたった2年余でどうこうある訳も無いが妙に私の中で、近未来と遠未来が垣間見えて来ていて少なからず楽しさが心の奥地で揺らいでいる。
名古屋でのキャンヴァスプリントフォトにペインティングした作品は見る人皆が一様に加納典明と繋がらず驚きを隠せないでいたのには、そんなもんかいと云う感じで私は受け取っていた。
此の作風は暫くは続けるつもりで、出来たら世界規模での展開と評価を目指し遠慮容赦なくやってみるつもりだ。
一方、普通のと云っては何だが所謂写真界、此れ又世界規模の写真界に向け機関銃弾とはいかない迄も随分な作品郡を発表出来たらと考えている。
太り気味ではあるが肉体は問題無しだし根性も揺らがず90位迄はいけるだろうし、近標的として此処5年が勝負とやるつもりで己から何が具体といて出て来るか楽しみである。
写真はBLD.GALLERYキューレーター長澤氏と六本木ミッドタウンで。
さあ、各々方来年は自身の過去形の概念.価値観を燃えるゴミに打ち捨て、次なる己の奥地にチャレンジと行こうではありませんか。