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掛け声だけはご立派だ!最低レベルの働き方改革
2018/05/06 01:16 AM
 安倍政権が進めて来た「働き方改革」ってのも、本当におかしな話だな。当たり前だが、働き方なんか他人に決められるもんじゃないだろう。
 
 なんでも、電通のお姉さんが過労自殺に追い込まれたことが、この〝改革〟のきっかけの一つになった。長時間労働の解消や、非正規と正社員の格差是正を、ってことだが、御上が働き方を決めるって、まるっきり共産主義、社会主義システムだ。現世代には、次世代につなぐ責任があるんだが、働き方が平均化された社会から、オリジナルなんて何も生まれないよ。会社勤めをしているなら、会社のテーゼ、フォームというものがあるだろう。サラリーマンであれば、そこは外せない部分かもしれないが、そんなものは上っ面だけ、つき合っているフリをして、本質は自分のやり方で好きなようにやればいいと思うしやる奴はやってる筈だ。

 たとえば、キヤノンに勤めている人が、ニコンのカメラがいいなと思ったら、キヤノンの中でニコンのカメラを作ろうとすればいい。競合、つまり競争がなくては社会は単なるロボット達の檻でしかない。此れだけデジタル、IT、AI 化が現下となって、この進化?が生物としての種、人間の退化を招くは必然で、人間とは、社会とはを考えざるを得ない。それが結果、会社のためになるだろうが。もっと言うと、会社のためになったって、ならなくたってどっちだっていい。経費ばかり使って、今日も会社にいないじゃないかっていう社員でもいい。1年に1本しかアイディアを出さなくたって、それもいい。それは自由っていうくらいの、余裕があったほうがいい。それくらいフレキシブルに個人個人の脳の奥地への喚起を促す環境を社会を何よりも、予め社会学として無いのか、時に現れる哲人待ちではもはや立ち行かない。古典的な言い方をすれば、個と客体、の問題では無いのか。それでこそお題目の〝一億総活躍社会〟が実現されると思うんだが、今の「働き方改革」は、アプローチが真逆だよな。オリジナルなんて生まれようがない。

 雑誌で連載をしておいて、こんなことを言うのもなんだが、最近の雑誌を見ていても、オリジナルにチャレンジしていない。だいたい、編集者、編集長に、活きた人材、骨のある奴がほとんどいない。全部、上を見て、人の顔色を見て、部数、カネを見て、データを見て仕事をしている。オリジナルが出てこないわけだよ。
 かつての『平凡パンチ』なんて、今の編集部の有りようとは全然違ったよ。石川次郎が編集者の頃だよな。間違いなく、時代を作っていくオリジナルがあった。一緒に酒を飲んでいて、「こういう写真撮ろうよ」「それ、写真にしたらいいよな」って話が盛り上がる。すると、「じゃあ今からやるか!」って動きだして、どこからかお姉ちゃんを探してきて、ホテルを取って撮影をはじめる。予定調和なんてなかったし、それが実際にページになって、雑誌の色を作っていった。決まった時間に出社して定時で帰るような仕事からは絶対に生まれない熱があったよ。
 ニューヨークのハドソン川をスーツ姿の内田裕也に泳がせた、1985年のパルコのCMもそう。糸井重里をはじめ、11人の当時のトップクリエイターが集まってアイディアを出し合い、最終的には俺の提案したアイディアに決まった。当時、あの川はかなりな汚れ方をしていて、予防注射を6本だったか打ってもらったけど、撮影後に高熱を出した。ムチャクチャだった。
 事前にハワイのワイキキで、スーツで泳げるかを裕也さんがテストをしたときも、海に飛び込む内田に、アメリカ人がキャッキャ言って喜んでいるのを日本の観光客は、また彼奴が、って顔して見ていた。
 ひらめきに蓋をして、決められた通りの働き方をしていたら、あんな仕事はできなかっただろうよ。

 テレビで言うと、かつてのフジテレビには、軽いノリではあったが、オリジナルがあったと思うよ。
 ところが今は、不倫ネタが受けて視聴率が取れるとなれば、それ一色。1億総ゲス社会だ!ゲス週刊誌、文春の記者が不倫する芸能人を追っかけゲスなるインタビューしているのをゲスTV情報番組がやっていたが、見ていて思ったのはこの記者、スクープとでもと思ってやっているのかな?と。その人間の精神を思わざるを得なかった。文春にしても出版社としての嘗てあった社会的責任またはプライドは何処へ行ってしまったのだ。此れだけ紙媒体が衰退し、会社を、社員を、その家族を守るには、レベルとか言ってられない!ではあろうが、些か昔を知っている者からすると、今更ながらどうしてこうも社会全体と構成する、人の貧困さ、を念う。繰り返すが、実存する故の自己の精神としての問題をだ。
 テレビも又メディアの強力さからすれば、いくらでもやりようはあるだろう。フジの社長を、1回、俺にやらせてみろって。文学でも、自分の精神の問題としての信じるものにチャレンジしている作家が今、どれだけいるんだ。皆、ただのエンターテイメントに過ぎない。
 連中も食わなきゃいけないんだろうが、直木賞なりを取って売れていくと、追求すべき文学から逃げて、手堅く安定数をとれる時代劇を書き出すよな。そんなのは、大道香具師と一緒。お祭りで昆布売っているオバサンと変わらないよ。いや、昆布売りのオバサンのほうが、変に格好をつける文学者たちよりも、シンプルでいいかもしれない。

 とにかく、「働き方改革」と言うなら、従うべきものは何か、まずはよく考えてみたほうがいい。上司とか会社とか、社会とか法律とかを、1回ハズして考えてみなって。そのときに必要なのは、他の人は写らない自分だけの精神の鏡を持つことだ。そして、よく見てみな、一度しか生れて来ない己の奥地を!一回しかないチャンスをだ!
「自分って、なんだ?」「俺って誰だ?」そこから、日々へのアプローチが、働き方が決まってくるだろう。

週刊大衆増刊「ヴィーナス」5/4号掲載の連載より引用
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