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連絡はメールでだと?『電話野郎』批判に喝ッ!
2017/12/31 09:13 AM
 なに? 最近は、人に電話をするのが失礼な行為と受け止められていて、突然、電話してくるようなヤツは〝電話野郎〟と呼ばれて蔑まれるらしいじゃないか。
 ホリエモンこと堀江貴文氏も、「電話してくる人とは仕事をするな」などと言っていて、賛同する者が多いんだって?
〝自分の時間〟を奪う、際たるもんが電話だってことらしいが、なんて心小さき、感性小さき、心狭きヤツらの話なんだと思うね。
 何にしても、“自分の言いたいことが伝わりゃいい”っていう手前勝手な前提の話で、電話だと言いにくいけど、メールだと言いやすい、聞きやすいっていう、弱者の戯言にしか聞こえないよ。
 要するに、メールでしか交流を持てないヤツが増えていて、そういう連中が〝今の時代は、そういういうもの〟と錯覚してラクに過ごそうとしているに過ぎないんだろう。知らず知らずに自ら失われて行く人間力をなぜ認識出来ないのか。
 程度の悪いAI(人工知能)か! 現代、そんな“ゴミAI”みたいなのが増えてって、いいわけがないだろう!
 だいたい、日本語というものは、非常に繊細なもの。言葉の裏側に隠されたニュアンスっていうものも多い。その隠された部分が、表の10倍あることもある。
 それをメール、文章だけで言葉にするのは非常に難しい。夏目漱石じゃあるまいし、語彙や表現力をちゃんと持っているヤツがいるか?
 人間は、どんなにつまらない通信でも、相手に思いを馳せるもの。使う言葉はもちろん、語気や間合い、息遣いからも「なんか嫌だな」「いいな、俺もああしたいな」と、色々と伝わってくるものがある。
 人の人品骨柄を含めて「肉声」で伝えることが、通信の本質だろう。
 事務的な連絡、ビジネスの連絡でも、数字の話だけじゃなくて、そこに人間であり、肉声があってほしいと俺は思うわけだよ。
 メールより、電話でやったほうが、温度が伝わる、気が伝わる、輪郭やタッチが伝わるだろう。
 受け取るほうも、ニュアンスを受け取る気もないというのは、精神的な許容がなさすぎる。
 メールだと、お互いに平等に伝えたいことが伝わるって?
 それも勘違いも甚だしいよ。平等なんて、永劫未来、過去も現在も過去も未来にもないからな!
 ただ、電話での直接的なやりとりになると、行き違いもあれば、感情のぶつかり合いもあるよ。
 俺なんか、相手の話を聞きながら、自分が言いたいことを喋り出すのは当たり前。
 おそらく相当ヤリにくいヤツだろう。
 自分でも、時々、「いけねぇ、いけねぇ。相手はうんざりしているな」って省みることもあるけど、それでも自分から湧いてくるイメージやメッセージをどんどん言っちゃうわけだ。
 決して褒められたことじゃないけど、そのやり取りの中で伝わるニュアンスや本質というものが間違いなくあるし、相手と関係する中で、知らない自分に出会うこともある。そういうものの積み重ねが、最終的なビジネス判断にも、大きく関わってくるんじゃないのか?
 結局、生身の人間を知らないことには、ビジネスだって始まらないんだよ。
 そういう生身の味を知らずに、一拍置き、二拍、三拍置いて、無難なやり取りをすることの、何が通信なんだよ!
 人間の実存ってのは、何かとアナログで関係しないと立ち上がって来ない。
 カメラでも、デジタルってのは確かに良く映る。だから、シャッターを押す人間が、いかに世界を感じて取り込むかという“人間力”の勝負になって来ていて、アナログを知っているほうがずっと強いんだよ。
 それと、メールか電話かの問題も、かなりイコールな部分があるよ。
 人間の生の良さ、温度、気配、空気は、絶対にAIには作れないもの。人と人が関係して発せられるものは多様にあるんだ。
 今日の話なんだが、俺の携帯に、登録してない番号から電話がかかってきたんだよ。「誰だ?」と思いながら、「もしもし?」と低めのトーンで出たら、昔、世話になった人だったわけだよ。
 そしたら、「あ、お元気ですか〜」って、俺も急に声が変わる(笑)。その豹変ぶりを隣にいたマネジャーは笑っていたけど、それでいいんだよ。
 一連の立ち振る舞いで、色んなことが伝わるじゃん。こいつ、コロッと変わったな、自分にはそれだけの認知をしているんだな……と、相手も分かる。
 どう受け止めるかは相手が決めることで、どうだっていいじゃない。そのくらい裸でいろよ、根性を持てよ、と思うわけだよ。
 相手が不機嫌そうな声を出す、自分が思ったような反応をしてこない。そんなこといくらでもあるよ。
 世界は自分じゃない。言うまでもないが、全員が、自分とは異なるヤツなわけだ。
 だから、相手が自分にとって、心地よい回答をくれるわけがない。そう思っていればいいわけで、そいつらの特色を楽しめばいいだろう。
 それを、自分の狭い世界観の中だけで生きようとするから、〝電話野郎〟なんていう泣きごとを言い出すんだよね。
 実際、俺にくる仕事やその他の連絡も、今はほとんどがメールで送られてくる。電話したがらないヤツも多いし、こっちが電話しても出ないヤツも本当に多くなってきた。そういうヤツには、俺はしつこく電話するし、メールの返信に、「細かい部分は伝わらないから、電話してくれ」って書くからな。
 もちろん、メールやLINEの全てを否定する気もないが、全部メールってのは違うだろう。少なくとも、これはメール、これは電話でやったほうがいいという図式、概念を自分の中にしっかり持てと強く思うね。兎に角どうしてこうも人間が弱くなってるのか、ネガな奴等が何の問題意識も持たず己を繰り返してるのか、合理性とかコンビニエンス等の家来に成り果てているのか。
要は生まれた時代は選べない人間が其の時代の文明と如何に拮抗するかと云うことだ。
 だいたい、ホリエモンの言うことに賛同するやつらってのもどうかしているよ。
 彼の経歴、環境、仕事の内容までも、かなり特殊で、少なくとも、この電話の件に関しては、とても一般的なテーゼになんてなりえないだろうって。

週刊大衆増刊「ヴィーナス」1/4号掲載の連載より引用
プロ少なき政界に喝!
2017/12/31 09:08 AM
 先月末、衆院選が終わったが、このところの政治家の質の低下は嘆かわしいばかりだな。
  政治家ってのは、自分のやったことが、後世までどう尾を引くか、いかに時代の価値をつないでいくかっていう責任の問題ですね。要するに、生き方そのものが問われる。
 神戸市議との不倫がバレて騒がれた元SPEEDの今井絵理子。アクターズスクールのマキノ正幸社長が、「勉強なんかしてこなかった子。国会議員になるレベルじゃない」って、どっかの取材で言っていたけど、その通りだ。そんな連中を、出馬させたほうもどうかしている。
 だが、そんな連中に投票したのは誰だ? 貴方達だよ。まったく、天に唾しているようなもんだよな。
 秘書への暴言・パワハラ問題で自民党を離党した豊田真由子しかり、年下弁護士とのダブル不倫疑惑で民進党を離党した、山尾志桜里しかりだ。
 衆院選も終わって、今さらって話でもあるが、豊田のオバサンの、「このハゲ~~っ!」ってのは、モノには限度と云うより此れが国会議員かいなって世間は驚いた。正に人品これに悖るどころか議員以前の人としての問題だ。
「加納、お前がよう言うな」だって? 確かに、オレも相当ヒドかったな。
 オレの助手で、ハードワークに耐え切れなくなって、病気になった奴もいたからな。でも、写真をやるには、俺としてはそれくらいの緊張ゾーンが必要。そこに関しては、俺自身に噓はない。写真への一直線な気だったよ。
 実際に、「社会の常識が終わってから、俺の常識が始まるんだ」って周りにも言っていて、「俺が黒だって言ったら、世の中が白でも黒なんだ」ってやり方でやっていたからな。
 写真現場で、俺一人が緊張感を持っていても仕方ないわけで、チームで動いている以上、助手にも俺以上に緊張感を持てと。其れがないと 、俺が目的とする作品に携わるのは無理だということだ。
 俺の世界観は所謂一般常識では括れない訳で、あくまでの俺の精神の奥地で沸々と渦巻いている意識を超えたゾーンは、社会の常識や規範の輪郭を守ってやっていたんじゃしょうがない、嘗てない具体を、表現をとの苦悩は常人には図り知れない。要するに世間合わせの具体では自身少しも面白くないし、意味がないということだね。
 勿論アートだからって、何をやっても許されるなんてことはない。それは分かっているけど、それこそ、この連載でも話してきたように、許されざる次元だが作品のためなら国立公園にも火をつけたし、半端なことはやってこなかった訳だ。
 北海道の屈斜路湖の氷の上に裸のモデルを寝かせたこともあった。終わった頃には、モデルの背中が真っ赤になっていた。ハードな撮影が終わり車まで雪の中をモデルを背負って行く途中に気絶したのか突然ガクンと重くなったりと、今だったらやらないな、其れでもイメージする写真への道はひたすら、何があっても突破すると。
 ただ、こんな撮影につき合わせて大変だなとは思いつつも、欲しい世界があるからそれは脇目も振らず求めるよ。
 それは、俺にとっては絶対的必然。でも、世間的に見たら、間違いなく異常な世界でさ。
 正常な世界からアートができるのかって云ったら、それは失い。俺の奥地から湧き出る“異常世界”から出てくる唯一が具体してナンボと云うことだね。
 ところが、この豊田のオバサンってのは、あらかじめ最も常識を踏まなきゃいけない世界の人間だよな。確かに、怒られた側も緊張感に欠け、失敗やミスが多かったのかもしれないが、たとえ秘書や運転手で対してでも、アレは度を超えてモノには限度の極限を行ってる。
 語彙の選び方、相手の子供をネタにするやり方、歌にして聞かせるしつこさ……まったく執拗に陰湿で、こう云っちゃ悪いが女性特有の癖の超ダーク版だな。
 この人は、一生、消せないダークな勲章を得てしまったわけだから、もう終わりだよな。
 でもまあ、釈明会見に出てきたツラを見たら、その臆面のなさと、まあ、あれはタフで己が依って立つ地面が見えていないオンナだよ。
 こっちは写真家でさ、人がどんなに取り繕って見せたところで、その顔つきや言葉から、精神のありどころを見切るわけだよ。
 衆院選がなければ、もうしばらく潜伏していたんだろう。謝罪する気なんてサラサラなかったけど、選挙に立つ前にケジメをつけなきゃいけないから会見を開いたっていう、彼女の都合の“段取りごっこ”以上でも以下でもないものでしかなく民は見抜ていたと思うね。
 一連の騒動を見ていて、俺が一番思ったのは、旦那の顔が見てみたいなっていうことくらいかな。こんなのと結婚している旦那の顔をさ。そんなのは〝ゲス観(ゲスの勘繰り)〟でしかないんだけど、今やゲス週刊誌『週刊文春』もゲスを貫くなら、そこまで晒してくれよと思うよ。
 山尾ってのも、2人でホテルにはいたけど、「一人で泊まりました」って、一線は越えてないって主張らしい。だけど、世間は100%やっていると思っているだろうよ。言い訳する顔がやってますと言っている。
 こっちもさ、どうせなら文春は、行為の真っ最中の様子まで撮ってきて、始めてゲスを貫くって事じゃないの。
 と同時に思うのは、例えば“55年体制”の時代なんて、政治家の実態はもっとケタ違いだったということ。ヨゴレを使っての様々な裏工作だって当然だったし、田中角栄だって愛人がいたのなんて有名な話だし。
 ある大物政治家を転向させるために、その政治家の娘を誘拐して脅迫して党を移籍させたなんていう裏の事件まであったとか、、、。
政治家でもなけりゃ豊田選手も山尾選手も此れぐらいの事ごとは彼方此方に有るだろうし。今、騒がれていることなんて、ある意味超かったるいことだよな。
文春砲なんて、まだまだ、尻尾の掴み方が中途半端だろう。もっと上面ゴッコじゃない諸々の奥地をだよ、何がこう云った具体への必然なのか本質を探れと言いたいね。
 だいたい、現代には、精神と云う背骨に何を持つか、自分のミッションを貫いているかって意味で、〝こいつは違う〟って思わせる、ゴツイ奴がどの世界にも少ない。
 唯一、生まれたお主よ、 自分と云うミッションを生きているか!日々、喧嘩しているか。 責任を果たしているか。
 何処にも此処にも、本当にプロなる人間がいない中庸構造に、半端保守で上っ面関係だけで時代を先送りしてきた目先族、足元族が群れる“アマチュア社会”日本。
 豊田、山尾、達オバサンの件でも、改めてそれが浮き彫りになったと、俺は思うぜ。誰にも生きてる限り・己・と云うミッションがあるわけで 其れに正面から取っ掛かれば人生結構楽しい筈だがね。
其れにしても、其れにしてもだ !小池百合子の「さらさら」「排除する」は政治家にとって何が一番大事かを知らないのかと言いたくなる、政治家にとって最重要なことは・如何に人間を知っているか・だか百合子氏、死語だが「奢れるもの久からず」もいい処で結果・自死・を招いた。

週刊大衆増刊「ヴィーナス」12/5号掲載の連載より一部引用
20代はジャングルで暴れ 30代はジャンプせよ!
2017/12/31 08:59 AM
20代が、貯金に励むようになっているらしい。まあ、気持ちは分からないでもないけど、あまり良い在りようだとは思わんよ。
金は、自分が動くためのガソリンだろう。少ないより多いほうがいいし、使えば馬力も出る。それをタンクに貯めておいても仕方ないのではないか。老後のためを考えてなのか時代への不安なのか、予定調和を何歳まで 生きているかも分からんのに20代から意識するのか、と云うことだ。
俺に言わせりゃ、あまりに単純で些か稚拙とも思える。では、20代をどう生きるのか。先ず、 臆するな、考えるな、行動せよ。という以外ない。
「悩むのもいいが、其処から、どう具体するかが問題なのだ」
エンジンは何処まで回転するか、回るだけ回してみる事が出来るのが青年期というものだ。跳ばせ跳ぶ、と200キロと飛ばしゃあいいんだよ。
“社会”っていう海、グラウンドでもリングでも良い。好きなように泳いだり、走ったりして、身体を張った実存を賭けて自分を知っていくのが、20代が出来ること。 動けば動くほどいいんだよ。中途半端はダメ。もう無理!っていう果てまでトライし、自意識が遠のく域まで己に夢中になり、やることだ。
何の自慢にもならないが前にも話した、俺が、日光の国立公園内にある「戦場ヶ原」に火をつけたのが、まさに20代。秋枯れたススキに火をつけて、その中に裸のお姉ちゃんを立たせて撮りたくなった俺にとっては、周りがなんと言おうと、其の景色の中で浮かび閃いたイメージに強烈に惹き憑かれ「良いからやれ」ってやったんだ。 また、ある夏、真っ赤な海にドンと落ちていく裸の女のイメージが伊豆の海辺で沸いてきて、「この海が真っ赤だったら」となり 、助手やスタッフに伊豆中を駆けずり回らせ、赤いペンキを買い占めて海にぶちまけたこともあった。 確か、一斗缶で18本くらい集まったが、海を真っ赤にするには、5万トンのタンカーでもひっくり返さないと無理なんだよな。波打ち際が黄色く薄汚れただけだった。
でも、やりゃあ出来ると思い、直情一直線でやってきたよ。 そんな俺の元で働く助手たちは、いつも大変だよ。今なら、 間違いなくブラック企業って言われているよ。
まあ、当時も 〝サドマゾ事務所〟とは言われていた。 だけど、そうやって人とぶつかり、摩擦が生まれると、人間は何かしら呼応するんだよ。そこで何が溢れ、何がこぼれ落ちるか。「俺ってこんなヤツだったか」「俺ってこんなことも出来たのか」と、自分の知らない自分が出てくる。それも、そういう摩擦に出会わないことには、出て来なかったかも知れない。
要するに、ぶつかって、関係して、違う自分をたくさん認識することが、20代では最も大事なことだと思う。
じゃあ、30代はどうか? 20代の時に、しっかりと暴れていると、おぼろげながら、何かしらのターゲットが見えてくる筈。
つまり、未来を意識しだす筈なんだよ。 それは、閃きでもいいし、頭の隅で聞こえる小さな声かもしれない。 衝動として出てくる、いつもの行動、思考パターンの中に、未来への想いが現れるかもしれない。 それを具現化していくのが、30代のあるべき姿なんじゃない かと思う。 そういう意味でも、やはり、20代での行動、経験っていうのは、すごく大事だよ。 会社でもなんでも、ちょっとやってみて、「なんか合わない」「やりたいことができない」とか言って、すぐに辞める奴がいるだろ?あれなんか、愚の骨頂。ただ逃げ回っているだけにしか思えない。人生で重要なのは、逃げの生き方か向かう生き方か、なのだ。
そんな己用の好都合の社会なんて、有り得無い。 交わること、クロスすることを逃げてはいけないんだよ。
兎にも角にも関係を恐れない事、傷だらけでも良い関係を探し求め続ける生き方をするんだ。
人間は、とにかく社会という構造において、安全で、自由もコントロールも利く、自分のテリトリーに戻ろうとしてしまう。 帰巣本能が強い奴が多すぎる。
自己保身と云うゾーンから出ようと、極まで行くと、刺激もあるし、閃めくことも非日常な不安を感じることもある。 でも、半分解っていても、其処からなかなか飛び出さないのが殆んどだ。 実際、極というか淵の外は言ってみればリスクの海。極を越えていくことは、リスクをわざわざ背負いにいくことに他ならないものなんだ。
だけど、それが見え隠れしてもジャンプする勇気を持つ事だ。飛び越えるんだよ!
その経験は、必ず、自分の糧となる。明日とか、来週とか、 1か月後とかの糧にはならずとも、長いスパンで見ると、必ず糧になる。
30代後半、40代が見えてきたら、自信、勇気、プライドという、その3つを確信として、行動できるようになったらいい。 過信、自信過剰、大いに結構!むしろ、実はとても必要なものだとさえ思うよ。
我に臆するな。自己にも他者にも、 臆したら何も動かないし、一歩も前に進めない。
俺が30代で、「これはジャンプしたな」っていう経験は何かあったかって? 何だろうな、全部そうだからなあ。それが、俺の日常だから(笑)。
俺だって、ジャンプするのが怖いときもあるんだよ。でも、 必ずやってきたし、今後もそうだろう。
それとな肝心な事は、 時間は戻って来ないということも、よく覚えておいたほうがいい。過去は絶対戻らない。
悔いを残さないで、具体的に生きる事だ。やりたいことはやり、自分と云う個の切磋琢磨、阿鼻叫喚を具体的に残す事だね。
世間の評価なんてどうでもいいよ、世間用に生きない事。多少、人に迷惑がかかっても、自分をやりきる、生ききるんだよ。 だいたい、それが他人にとって迷惑かどうかなんて、誰にも分からないものだろう?そこに生まれる摩擦で、相手が何かしらの覚醒を遂げることも、十分あるんだから。
とにかく、20代、30代なんて、こんなに楽しい時はないよ。身体も動くし、自分で自分を如何ようにも創ることが出来るんだから。
人生のペース配分なんて考える必要は全くないぜ。 20代は、闇雲にジャングルで暴れていればいい。そして30代は、自信と勇気と誇りを持って、リスクの海にジャンプせよ!

週刊大衆増刊「ヴィーナス」11/4号掲載の連載より引用
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