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最後の晩餐
2010/11/26 03:06 AM
最後の晩餐
以前、久米宏キャスターが番組の中で時々然るべきゲストを呼んで死がみえた時に最後に食べたい物をテーマにしたコーナーがあった。
若い人は日々あまりそんな事は想像する事も無いかと思うが何かの折りにアレコレ考えたりする事がある。 
第一に何が一番常に食べたいか、手間とか何処其処にいかなくては成らないとか、嫌に高いとか色々条件的な事毎は一切抜きにして直感に近い感じで出て来る物が一番だと思うけど、人は誰も3才から6才迄には脳は出来上がると云うのが定説とされていて6才迄に食べている環境といったら家庭に他ならず、所謂おふくろの味と云うのは人が考えている以上に深く深くインプリントされていて抗し難く人生を支配している、しかし。
味も含めての話しになると思うがイギリスの文化人類学者リチャード・ドーキンスの教え子の1人と云えばいいのかスーザン・ブラックモアが著した《ミーム・マシーンとしての私》草思社刊、のあちこちを引用しながら考えてみたいのだが何よりも先に遺伝子とはDNAとは、分子の螺旋の立体構造も其の数値も遺伝暗号の蓄え方も其れが複製されてタンパク質に変換するメカニズムも繊細に解明されていることは周知のことだ。
人の社会的行動や文化はネオダーウィンニズム(生物学の原理)で全て説明が出来るされていた。
しかし今日の現実社会は複雑に絡み合い生物学の原理だけでは説明出来ない文明社会に進化した状況にある。
1976年《利己的な遺伝子》紀伊國屋書店刊、でドーキンスが遺伝子とは別の自己複製子、つまり文化的情報の遺伝子単位として提唱した概念をMEME(ミーム)という。
サルから人え人間がその後の長い進化を自然淘汰というプロセスを経て脳機能や社会行動がサル若しくは其れ以前の生物から遺伝子という存在の証明に依って人間が生物進化の産物であるという科学的な基本は否定し得ないが、ドーキンスは其れとは別に文化的な遺伝子複製子(ミーム)があるという訳だ。
生物学者からすれば実体のない観念的産物ではないかとの疑念は当然とも云えて、解明されている遺伝子のDNAと違いミーム自体その基盤大きさメカニズム等々何一つ解明されていない、つまりは単に机上の空論ではないのか。
ブラックモアはミーム学の体系は仮定の上に建っている事を承知で新たに仮説として提唱した。
彼女は人間の模倣の能力を根拠とし模倣に依って伝達される何であれミームだと定義する、そして模倣を指示のコピーと産物のコピーに分けて(音楽で言えば楽譜と演奏の区別)、人間に模倣の能力が現れると時がミームが進化をスタートするとし、複製の正確さ、多くのコピーをつくる、その寿命、其の三つが要点であると。
其れ等の基本原則を脳、言語、性的習慣、宗教等のなどの起源と進化を検証し、全ての文化的現象はヒトの脳を舞台に自らのコピーを増やさんと競いあう(利己的なミーム)働きの結果でドーキンスの云う生物の進化は(利己的な遺伝子)のあいだの自然淘汰であり生物の体は其の乗り物(ヴィークル)に過ぎないと呼応する。
更に人間の知的活動がミームに依るならば意識や自己も例外とは出来ないと、自己なる感覚は単なるミーム複合体にすぎず、不変の自己など存在しないと。
自己否定し脳にミーム複合体を全て排除して何が残るか、虚無?、否一切の雑念(ミーム)を振り払い無我の境地こそ正しい判断が出来ると。
芸術家やアスリートが言うように信の創造性は、あらゆるミームを排除した時のみに成立するしという。
ブラックモアによると印刷、電話、ラジオ、テレビ、ファックス、インターネット、等の情報革命は究極の複製機構を生み出そうとするミーム進化の副産物に過ぎないという。
今ひとつ疑問が残るが仮に仮説と終わったにしろ説得力大で考えさせられる。
最後の晩餐で死に際して一番食べたい物は何か云々を軽く書こうとしていたのが、お袋の味からDNA素っ飛んでしまいましたが、私の最後の晩餐No1は 蕎麦 です。
車で5分程の所に 翁 蕎麦が出来て食べに行きました、まあ悪くはないなと思いました、蕎麦には煩いのです。
出来たばかりなので早々文句は言えない、翁は高橋さんが杉並でやってた頃訪ねた事がある、行列が出来ていて蕎麦に行列かいなと思い食べたが確かに遠路訪ねただけはあった。
ただ高橋さんはどうも蕎麦には 蕎麦道 なるものがあり何処迄も探求すべしと言った考えがあるらしく、後に蕎麦や使う葱も自分で作らないと我慢がいかなかったらしく信州の方に移ったと聞いてはいた。
名だたる蕎麦師には弟子も寄り全国に広がって行く、東京では品川翁にたまにだが行き、美味しく頂いていた。
高橋蕎麦道からすると当然なのだが杉並がそうだったがメニューが もりとかけ しか無く時にもっとと蕎麦道関係ない私は思ってしまう。
所により客筋は色々種物も食べたい筈で商売を先にすると怒られそうだが、此処等は難しいところだ。
個人的に関東で好きな蕎麦は柏にある 竹やぶ でもりも美味しいが何と言っても田舎蕎麦を辛み大根ですするのが一番だ、田舎と言うと太く切ったのが多いが竹やぶのはシッカリ細く微妙にそば殻が混じり喉を越して行く時の何とも言えない蕎麦味と香りがない混ざり実に美味しい、是がNo1。
後そばがきも蕎麦の実を残した荒めのとメレンゲみたいにふんわり柔らかなのが有り共に美味、納豆蕎麦も彼方此方で食するが竹やぶが一番だな。
東京では家から近くプラチナ道りの 利庵 には良く通ったな、美味しいのは鴨せいろに鴨南に熱いかけの上に大きめの海苔を敷き其の上に小柱をピラミッド状に乗せた、あられ蕎麦、だな卵焼きは何度も言ったが少し甘め天ぷらも多数ある。利庵は昼時に夕方は比較的混むからゆっくり常温の酒を台抜きの鴨南なんかをすすりつつやりたい時は遅い午後の三時半辺りからがいい。
品川と云うより大井町になるかな 布恒更科 此処は蕎麦も種物もツマミもいっぱいあって楽しいよ、時期の大振りの牡蠣を乗せた熱々の牡蠣蕎麦もいいし深川蕎麦といってアサリの剥き身をどっさり入れ三つ葉の香りとよく馴染み熱々の汁にアサリの味が溶け出して美味しいよ。
今はタイだったかに行ってしまったが恵比寿に竹やぶが有ったのが六本木ヒルズに移り後を弟子の1人が 玉笑 という蕎麦が有ったが此処は無くなったから言う訳ではないが良き才能を感じ将来が楽しみな蕎麦だった。
白金商店街の 三合庵 も竹やぶの弟子筋で丁寧でいい仕事をしていて玉笑と何方がどうと言うより好き好きと言った所で
文句無しである。
とまあ切りがない、しかし炭水化物には違いなく昔は竹やぶの田舎を五枚とか食べていたが・・世の摂理とはいえ年は取りたくないねえ。
ミームだが些か短絡に過ぎるかもしれないが、現中国はミーム大国と云えないだろうか、単に知的財産権に関して中国はグローバルスタンダードからすれば殆ど無視に近くグローバルな基準になるには尚半世紀位掛かるかも知れない、単に物の模倣と云う事もそうだが13億の脳をミーム論としてみると空恐ろしい状況も想像出来てミーム視点から中国を図るのも有りかなと。
Non Exit
2010/11/23 05:44 PM
Non Exit
先に(10月22日)書いたが尖閣中国漁船の映像はヤッパリと云うか内部告発という形になって流出した。
此のインターネットの時代ある意味出てこない訳がない。
以後続いたテンヤワンヤは此の国のシステムと政治家を含めた役人の資質を証明する事になって謂う言葉さえ無い。
戦後65年世界的にも例のない一党支配が続いた続かせた民も漸くに漸くにして政変を求め、私自身も生きてる間に一度でいい非自民の為政のもと暮らしてみたいと願っていた。
民主党が掲げた公約はマジかいなと云う程の美味しい羅列でこいつは眉唾物だと出来る訳がないと見ていたが矢張り現実離れと云うか無理だ。
国民1人に600萬だか800萬だかの借金を予め背負せた自民党の為政と何ら変わらぬ否それ以上の金を必要とする絵を公約として政変は成った、しかし民主党は膨大な借金から全てを其処から発想しなければ成らぬものを目先の猫騙しで権力に付いた。
国民は詐欺に遭ってる様なものだが天に唾をするとは此の事だ。
勿論民主党が直ぐに衰退一直線の此の国を右上がりになんて幻想はしないし選んだ手前国民も相応の辛抱はするべしと考えていたが現実はあまりと云えばあまりで、自民党の為政は明らかに悪であったが民主の現実は為政する首相以下の能力の問題で資質以前の話しだ。
たった今衆議院総選挙をしたとしたら明らかに自民党政権復活と成るだろう、是だけは何としても堪忍して欲しい。
民主が掲げた政策の柱に官僚の権益権力を削ぐと云うのが有ったが是も強か極まりない官僚相手に政治家がしかも民主議員が果たして通用するのか時間が証明するとは思うが見えている。
日本は二重構造国家で霞ヶ関と云う国家が永田町に住む国会議員と云うタレントを使い衆愚に満ちた鎖国DNAの一億三千総白□族と云う民を飼育していている訳でバーコードと毛染めのハゲタカの巣に住む奴等からするとこんなにやり易い怒らない民は世界でも珍しいと考えている筈だ。
民主党の仕分けゴッコも結局単にスタンドプレイでしかなく法的な拘束を先ずやってからの話しでメディア用の徒花でしかない。
一体全体どうしたらいいの全く世界の経済を始めとする状況は暗黒と言うか暗澹たるもので独り中国と俟つわるASEAN 圏の国々が息をしている位で、中国自体も前近代的な捩れ国家構造で13億の民を養い続けるのは何時迄出来るか繁栄は何時かは爛熟し衰退を迎える,何れは内から外からのプレッシャーにより国家構造の変化が畢竟必然の事と成る筈だ。
尖閣問題で露になった日本と中国の事実、現政権及び官僚機構に公務員の機能能力に安い踊りしかしないメディア、何処にもサンデル教授ではないが本質としての 正義と倫理 の欠片も無い。
勿論、世は綺麗毎でいく訳は無いがこんなに一億総閉塞していては息苦るしくて仕方が無い、人として民族として国家として凡そ回転しているとは云い難く、来る日も来る日もワンパターンを繰り返すメディアにも疲れ果てる思いで此の国を逃亡しない限り人としての営みは無理と言うもので一体何処え・・・。
此処からの記述は笑い話か悪い冗談として頂きたいが近未来に何処か何か想像をしたとしてのほんのお粗末をば。
第一に首相も含め政治家及び官僚は勿論都道府県の長に至る迄行政に於ける法的な業績基準に達しない為政者は
外し其の多くを能力優れし外国人のプロフェッショナルを登用しアマチュアな人材を尽く廃し、其の為の有無を云わさぬ強力な立法をする、特に外務省は殆ど外国人で良いのでは始めに協力な雁字搦めな条件をインプリントした上で。
第二に北海道と沖縄をアメリカに於けるサイパンのような緩やかな統治地域とし基本的には両県は独立を目指し沖縄はアメリカの対中国政策の要としての沈まぬ航空母艦沖縄の地理的条件をトコトン中国とアメリカを軍事及び経済を両天秤に掛けGNPで云えばアメリカ中国の上を行く現実を目指す1世紀位は目先の非現実的な主義主張は捨てる、武士は喰わねどの時代ではないのだ。
国家の餌食なる前に国家を喰い尽くせ。
同様に北海道もロシアとアメリカに中国を三股に掛けてやりように依っては北方四島奪還も1世紀もすれば不可能とは云えないのでは,当事者からすれば生きているうちにはは当然だが鎖国DNAの現為政者の群れではハッキリ言って無理、もう其れはいい加減解ってもいい筈。
旧ソ連邦が崩壊したのはアメリカとの軍拡競争に負けたわけで周知の事だが況や金の競争にソ連は破れた訳だ、凡そ金は目的の為の方法であって金自体が目的になってしまった資本主義は人社会に取って限界にあるのでは。
第三に残った本州九州四国は最低5県に分割し首都を10年毎に5県を移動する、役人は勿論労働者も職種と能力年齢により希望は聞き取りするが基本的に半強制的に5県を移動する、基本として故郷意識を廃し65才以上に帰郷を考慮する。
2年毎に5県の業績を多様な角度価値から計り成績とし競争を促す、何やら社会主義の匂いがして来て嫌な感じだが第四第五と有るが何れ又。
ドイツの哲学者O・W・シュペングラーの大著《西洋の没落》に弥生時代を指して日本の国と云うのは中国と云う太陽に照らされた(月光文明)であると言っている。
自ら光り輝く事無くあくまでも中国に影響された存在と云う訳だ、此の伝でいくと戦後の日本はアメリカと言う太陽に依って元気にも病にもと、巷間云われるアメリカがクシャミすると日本は風邪っ引きとなる、此の有り様は65年の長きに渡り沖縄に顕著だが未だ此の国日本は独立していないのでは、昔から良く云われるアメリカの一番西の州、詰まるところ其の本質実態は植民地やも知れず結局この先何世紀かを想像するに憲法九条、非戦非核三原則の問題に必ず突き当たる、しかしヒロシマ長崎の犠牲者遺族被爆者が生存する間とこの先何世代を超えて行けば良いのか本当の独立には、言いたくないが軍事的独立はどう論理的に考えようが必要となる。
其れには膨大な経済的裏打ちが必然と成る、其の時始めてアメリカから独立云々が出来る。
しかし今の様な訳の解らない鵺のようなオポチョニストの国の方が情け無い程の右往左往しつつも偽物の平和と云う事で民の資質根性を思えば佳しとするしかないか 。
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