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韓国・平昌五輪で考えた 国家間競争のアホさ加減
2018/03/05 01:26 AM
 韓国・平昌冬季オリンピックがようやく終わった。 確かに羽生選手をはじめ、選手たちはよく頑張っていた。 だが、相変わらずと云うか、メディアの大騒ぎにはウンザリだ。 ニュースとして結果報告だけで充分だ。 今回に限らず、日本の日本的報道には、根本に「伝える」という本質から逸脱した、情緒滴る要素が多過ぎる。 なんで日本人はこうも情という、個人の内面の有り様を、公的な場に欲しがるのか。「ヤワ」としか思えず、 なんだか気持ち悪い。もっと普通に、恬淡とした伝えが欲しい。日本という場の、社会通念、常識、価値観、社会性への疑義を思う。260年間にわたる封建制のDNA呪縛がいまだ日々、意識下にあるのか。お上御尤も、一億総○○、赤信号……など、自動律の不快を感じ、 意識できずにいる此の国の“普通”を、検証し続けるべきだ。
 話は飛ぶが、こんな事象がある。 とある小学生の野球チームの話だ。監督やコーチはボランティアなのだが、 練習や試合時に各選手を呼ぶのに、名前を呼び捨てにしていたのを見たか聞いたか、その子供たちの親が監督に、「うちの子を呼び捨てにしないでください。家ではクンやチャンづけで呼んでいますから……」アホも此処まで来ると言葉がない。なんて環境に日々いるんだ、 此の子たちは!と思わずにいられない。子供が育ちゆく中で、最も重要なのは環境だ。スポーツに限らず、それぞれが成長して形作っていく“大人”としての有り様は、子供時代の集約、反映、具体だ。ヤワでアホな親を持ったら、いかに優れた遺伝子を奥底に持っていようと、人として浮かばれることはない。争い、競争するという場は、文字どおり、精神と肉体への練磨を如何に積み重ねるかの場だ。スポーツも、結局は自己への闘争以外の何物でもないことを、ヤワでアホな親たちは知るべきだろう。
 一方、金メダルを取ったときの羽生選手の汗と涙と喜びと戸惑いが交差する表情は、己に尽くし切った人間の美しさに満ちて、 極を極めた人間の顔には見事でした!と静かに喝采を送りたい。
 しかしだ。 オリンピックなんて前近代的なイヴェントはなくて良い。大なり小なり、FIFAやIOCはマフィア組織に違いない。幾度となく摘発を繰り返したところで、あまたの国の人間関係が生む、悪なる影が消えないのだ。第一に、五輪のマーク、つまり五大陸をあらわし、人種・ 国境をもとに競争するというシステムが問題だ。一見、良さげに映るかもしれないが、もはや国を背負って立つは古い。デジタル、AI、 時代に世界を見渡し知れば知るほど、民族、国家、国境とは何なの かと考えざるを得ない。
 今回のオリンピックは朝鮮半島という極めてシリアスな場での開催だった(なぜ歴史的に、半島という地理条件が争いを生むのか、ヴェトナム半島、バルカン半島、イベリア半島、と史実が問うている)こうした緊張関係の素因は、大国のエゴに違いなく。民族とは、国境とはなんなのだと、人という種の愚かさを思う。
 とはいえ、かく言うわが国は、アメリカという、 たかだか200数十年の歴史の寄せ集め人種の国の、犬だか、ハワイの西にある州だか、、どう見たって独立しているとは政経に民度に思えず、上っ面の辻褄合わせに終始している。
 オリンピックに限らず、難民問題はヨーロッパに長きにわたる混乱をもたらし日本も何れ拘らずにはいられない。まして此れだけ高齢化社会が現実となって来て労働人口不足は、 一時前の就職難がウソのような求人難に、いくらAIを云々としたところで、人間が肉体を使う職業が全てなくなるとは考えにくい。そして、日本人のみで肉体労働がまかなえるとは、この先考えられない。つまりは、外国人労働者をどんどん入れて行くしかない。
 今のこの島国の現状は、一民族で、ほとんど鎖国状態だとしても、民意レベルでの開国が、まずは要るのではないか。当然、犯罪を始め、諸事問題が多々としても、それ以外に出口はないと思える。だが、オリンピックは人間の肉体と精神の競争であり、争いではない。言うまでもなく、人間ゆえの一番の悪といえば、戦争だ。地域戦争や難民問題と、オリンピックを一緒に考えはしないが、 人間が、人が、国家という立場になって発する欲望は限りなく続く。
 バートランド・ラッセル著『宗教から科学へ』ではないが、 宗教と称し科学と称し、この星を壊し続けている人間。ヒットラーや自国民6000万人を粛清したスターリンなどは問題外だが。アフリカやアラブ諸国の国境が、 地図上で真っ直ぐに線引きされているのも、かつてのイギリスを始め大国のエゴの具体として残っている。国・民族という枠組みは、人口問題としても早々立ち行かず、民主主義・資本主義のシステム自体の限界が来つつあるとも思えてならない。
地球の寿命は50億年と言われる。その頃、果たして人類は生存しているのか。依然と民族・国・国境と云う線引きの中にいるのか。根本に於いて、人間は相変わらず単なる欲望する生物でしかないのか。空の果てから覗いてみたいものだ。

週刊大衆増刊「ヴィーナス」4/3号掲載の連載より引用
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