「寿司職人が何年間も修行するのはバカ」
また〝彼〟――ホリエモンが、こんなオカシナことを言ってるようだ。 最近は、良い専門学校もあるし、寿司を握るだけなら、3か月でマスターできる、と。あとはセンスとスマホの情報があれば、数か月で一流 になれる・・だって? AI 信者とはこういった奴らということか。
確かに近未来は直ぐそこで、AIが人の職域をはじめ、日常のすべてに関わってくるのは間違いない。人間と機械がどう関係していくかが、単に産業革命うんぬんでは済まないレベルに行くだろう。そこで人間であることの戸惑い、彷徨いは計り知れない。ゆえにだ、人という実存の有り様を現在、過去、未来にわたり意識、認識し、想定を超えた現実をいかに受け取り、取捨選択していくのか。人間が人間を、かつてない問いを突きつけられる時が来る。
堀江にこだわる気はサラサラ無いけど、彼は新人類でも何でもなく、人間実存を知らないだけなのでは。外側だけ、現象だけを受け取り、己と云う内側、自身の奥地に面と向かったことがないのではないか。やはり単純にも、本質的にも、まずは人なる己を知ることだな。
俺は、高校を出て、名古屋で写真家の助手をやって基本技術を習得し、東京に出て写真家・杵嶋隆に師事して、フリーになったのは21歳。つまり修行時代は、18から21歳くらいの時期だな。
そのとき、俺にあったのは、「東京に行って一番の写真家になる」という強い意志だけだった。 そのためには、プロの技術をしっかり覚えたいと思って、飛び込んだわけだよ。
今でもよく覚えている。名古屋の先生のところで、現像に使う希酢酸に、「指先をつけておけ」って言われたんだよ。すると、指先が茶色になって、指紋が薄くなり、これで、フィルムや印画紙に触っても指紋がつかないようになる。
他にも、陶磁器やグラスを並べて、静物として撮るときのことだよ。レンズの長短にもよるんだが、レンズを通してみると、外側に置いてあるグラスが外側にわずかに倒れて見える。これを周辺収差と言う。
そのほんの0コンマ数ミリを、グラスの底に何かを挟んで真っ直ぐに写るように調整するんだ。
紙だと写り込んでしまうし、じゃあ何を使えばいいのか? 先生も俺も一生懸命になって発想する。
まあ、こんなのはほんの一例にすぎない。要するに、プロの領域は普通では考えられない技術の展開が必須。 それもこれも感性感覚世界の奥地は無限なわけで、限りなく湧いてくるイメージに辿り着こうと、息をするのも忘れるような苦しくも楽しい時が連綿と続く。トップに至るには天性といかに深度を持った技術を持つかに尽きる。そういうことを、2人の先生から徹底的に学んだわけだ。
俺には「一番になる」っていう、誰よりも強い意志があったから、全然、ツラいなんて思わなかった。 18~21歳。一般的には遊びたい盛りの年頃で、友達から「加納、出てこいよ」って誘いの電話も実際にたくさんあった。 だけど、俺は一切行かず、1日の半分は、酸とアルカリの饐えた匂いの暗室で過ごしていたよ。
東京で師事していた時は、先輩に4~5人の助手がいた。気がついたら、先生が撮るもの以外に依頼のある写真は、先輩たちを差し置いて かなりを俺が撮るようになっていた。 それが仕事だなんて意識もなく、ただ面白くて興味津々でやっていた。
言うまでもなくフィルムは、ただの化学物質。だけど、俺の中ではそうじゃない。写真漬けの濃密な日々を過ごす中で、完全に肉体感覚化していったんだよ。体に沁み混みフィルムが曰く言い難しな実在化をした。
それが分かったのは、俺が写真家として一流とか言われるようになった頃だったかな。 フリーになったときは、同じ世代にもスゴいものを持っているヤツがいっぱいいるんだろうと思ったが、なんのなんの。 第一に技術的に俺以上のものを持っている奴なんていなかったよ。何でも、俺が一番よく知っていた。当時カラーの現像までやっていた若い駆け出しはいなかった。
要は、つまりは理屈じゃないんだよ。感性に、どれだけのものを蓄積したか。
頭で覚えたり、考えたりすることは、余程のバカじゃなければある程度、誰でもできる。スピードの差が多少あるくらいのもんだろう。大事なのは、それを超える、理の先にある感性世界。それは、教えようと思っても教えられないし、ましてや3か月の専門学校なんかじゃ、 どうしようもない。プロの現場に張り付いていれば、知らないうちに自分の感性が感応する。感受していく中で、体に入ってくるものなんだよ。
若さの状況感応力は半端ではなく目の当たりのダイナミックな全てへの感受力がもたらす其れこそ人間力は己を知り他を知る、そうやって“人間”を知ることができる。
たとえば、自分の家を2人の建築家に頼んで作らせるとする。1人は、50過ぎの熟練の建築家。もう1人は、若くて尖がった新進気鋭の建築家だ。
完成し、まずは熟練の建築家の作った家に住んでみた。どうってことのない家だが、妙に落ち着いて居心地がいい家だった。
一方若い建築家の作った家はどうか。見栄えは良く、派手なアイデアに溢れていたが、住んでみるとどうにも落ち着かなかった。
どちらに住むべきかは、云うを待たない。
詰まりはどれだけ“人間”というものを知っているかと云う訳だ。
これは建築家、ル・コルビジェが言った一つの例え話だが、人間、50を過ぎないと人間を知り得ないとでも言いたかったのかな。
人間をどれだけ知っているか。それは、社会の根本であり理解であり、時代の理解にも繋がってくる。
この先、AIに転んだかに見えて来るだろうが、人は見えないところでの強さは簡単には人間を売ったりはしないはずと、時代の頁を捲って行きたいものだ。
結局、堀江はまだ目先、足元しか見えてないんだろうな。高感度鳥瞰レンズで世界を受け取り、いかに営為するか、いつか社会的円月殺法を伝授しようか!
週刊大衆増刊「ヴィーナス」3/4号掲載の連載より引用
また〝彼〟――ホリエモンが、こんなオカシナことを言ってるようだ。 最近は、良い専門学校もあるし、寿司を握るだけなら、3か月でマスターできる、と。あとはセンスとスマホの情報があれば、数か月で一流 になれる・・だって? AI 信者とはこういった奴らということか。
確かに近未来は直ぐそこで、AIが人の職域をはじめ、日常のすべてに関わってくるのは間違いない。人間と機械がどう関係していくかが、単に産業革命うんぬんでは済まないレベルに行くだろう。そこで人間であることの戸惑い、彷徨いは計り知れない。ゆえにだ、人という実存の有り様を現在、過去、未来にわたり意識、認識し、想定を超えた現実をいかに受け取り、取捨選択していくのか。人間が人間を、かつてない問いを突きつけられる時が来る。
堀江にこだわる気はサラサラ無いけど、彼は新人類でも何でもなく、人間実存を知らないだけなのでは。外側だけ、現象だけを受け取り、己と云う内側、自身の奥地に面と向かったことがないのではないか。やはり単純にも、本質的にも、まずは人なる己を知ることだな。
俺は、高校を出て、名古屋で写真家の助手をやって基本技術を習得し、東京に出て写真家・杵嶋隆に師事して、フリーになったのは21歳。つまり修行時代は、18から21歳くらいの時期だな。
そのとき、俺にあったのは、「東京に行って一番の写真家になる」という強い意志だけだった。 そのためには、プロの技術をしっかり覚えたいと思って、飛び込んだわけだよ。
今でもよく覚えている。名古屋の先生のところで、現像に使う希酢酸に、「指先をつけておけ」って言われたんだよ。すると、指先が茶色になって、指紋が薄くなり、これで、フィルムや印画紙に触っても指紋がつかないようになる。
他にも、陶磁器やグラスを並べて、静物として撮るときのことだよ。レンズの長短にもよるんだが、レンズを通してみると、外側に置いてあるグラスが外側にわずかに倒れて見える。これを周辺収差と言う。
そのほんの0コンマ数ミリを、グラスの底に何かを挟んで真っ直ぐに写るように調整するんだ。
紙だと写り込んでしまうし、じゃあ何を使えばいいのか? 先生も俺も一生懸命になって発想する。
まあ、こんなのはほんの一例にすぎない。要するに、プロの領域は普通では考えられない技術の展開が必須。 それもこれも感性感覚世界の奥地は無限なわけで、限りなく湧いてくるイメージに辿り着こうと、息をするのも忘れるような苦しくも楽しい時が連綿と続く。トップに至るには天性といかに深度を持った技術を持つかに尽きる。そういうことを、2人の先生から徹底的に学んだわけだ。
俺には「一番になる」っていう、誰よりも強い意志があったから、全然、ツラいなんて思わなかった。 18~21歳。一般的には遊びたい盛りの年頃で、友達から「加納、出てこいよ」って誘いの電話も実際にたくさんあった。 だけど、俺は一切行かず、1日の半分は、酸とアルカリの饐えた匂いの暗室で過ごしていたよ。
東京で師事していた時は、先輩に4~5人の助手がいた。気がついたら、先生が撮るもの以外に依頼のある写真は、先輩たちを差し置いて かなりを俺が撮るようになっていた。 それが仕事だなんて意識もなく、ただ面白くて興味津々でやっていた。
言うまでもなくフィルムは、ただの化学物質。だけど、俺の中ではそうじゃない。写真漬けの濃密な日々を過ごす中で、完全に肉体感覚化していったんだよ。体に沁み混みフィルムが曰く言い難しな実在化をした。
それが分かったのは、俺が写真家として一流とか言われるようになった頃だったかな。 フリーになったときは、同じ世代にもスゴいものを持っているヤツがいっぱいいるんだろうと思ったが、なんのなんの。 第一に技術的に俺以上のものを持っている奴なんていなかったよ。何でも、俺が一番よく知っていた。当時カラーの現像までやっていた若い駆け出しはいなかった。
要は、つまりは理屈じゃないんだよ。感性に、どれだけのものを蓄積したか。
頭で覚えたり、考えたりすることは、余程のバカじゃなければある程度、誰でもできる。スピードの差が多少あるくらいのもんだろう。大事なのは、それを超える、理の先にある感性世界。それは、教えようと思っても教えられないし、ましてや3か月の専門学校なんかじゃ、 どうしようもない。プロの現場に張り付いていれば、知らないうちに自分の感性が感応する。感受していく中で、体に入ってくるものなんだよ。
若さの状況感応力は半端ではなく目の当たりのダイナミックな全てへの感受力がもたらす其れこそ人間力は己を知り他を知る、そうやって“人間”を知ることができる。
たとえば、自分の家を2人の建築家に頼んで作らせるとする。1人は、50過ぎの熟練の建築家。もう1人は、若くて尖がった新進気鋭の建築家だ。
完成し、まずは熟練の建築家の作った家に住んでみた。どうってことのない家だが、妙に落ち着いて居心地がいい家だった。
一方若い建築家の作った家はどうか。見栄えは良く、派手なアイデアに溢れていたが、住んでみるとどうにも落ち着かなかった。
どちらに住むべきかは、云うを待たない。
詰まりはどれだけ“人間”というものを知っているかと云う訳だ。
これは建築家、ル・コルビジェが言った一つの例え話だが、人間、50を過ぎないと人間を知り得ないとでも言いたかったのかな。
人間をどれだけ知っているか。それは、社会の根本であり理解であり、時代の理解にも繋がってくる。
この先、AIに転んだかに見えて来るだろうが、人は見えないところでの強さは簡単には人間を売ったりはしないはずと、時代の頁を捲って行きたいものだ。
結局、堀江はまだ目先、足元しか見えてないんだろうな。高感度鳥瞰レンズで世界を受け取り、いかに営為するか、いつか社会的円月殺法を伝授しようか!
週刊大衆増刊「ヴィーナス」3/4号掲載の連載より引用