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政治的行動とは思えず、党員各位が個人としての確認が必要としても党としてやる意味が理解不能。今更ながら此のレベルだったかと、丸で村会議員の群れ。其れより未来への提言各種委員会でもやるべき。国民にも此の党に任せた責任は消えない。
戦後60年余その殆どは自民政権で、生きてる間に一度で良いから非自民体制での社会を願っていたが答えは余りと云えば余りであった。自民党体制の最大の附けは国民1人に780万の借金を負わせていると云うことで⇒大げさに言えば幕藩官僚体制に寄る260年の鎖国が齎した内向きDNA⇒明治から太平洋戦争敗戦に至る軍閥官僚体制⇒《霞ヶ関永田町官僚意識村》の現実.未来を通し改革は無理であろう体制⇒国民民意に潜む子役人根性(日々意識するべき)で、一億二千万総役人意識が此の国の現実。 此のグローバル時代、せめて・内向き.外向き・半々位に民は意識し行動するべきでは、外には沢山のチャンスとリスクが用意されている訳で・・現在過去未来と云ったスタンスで時代とともに自らの理(ことわり)をどんどん変遷させて行く生き方が必須では・・・。
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全く個人商店主の烏合の衆といった政治家共の子供染みた角突き合いに等しく、ナニやってんだって思いだ。
確かに国会議員としての先ず守るべきは何かは当然のことだが、国政に関ると云うは其処ら辺の小役人とは訳が違うを認識していない、川口氏が中国で委員会を欠席してまで必要な会議で有ったかどうか調べ優先すべき判断よりも先に、只立場上の責任を野党故の反対とやるのは、国民からしたら余りに古臭く争うが小さく目先族共め!と写る。
政治家たる立場の本質を知ることだ、昔、日中国交交渉の時に中国の外務官僚が日本での交渉時に日本側からの提案を飲むことは中国の法律を犯すことになると、本国の周恩来首相に如何にすべきか仰いだ時に周恩来は、私が責任を持つ先に行け!とあったと聞く、是こそが《政治的判断》と云うことで事の如何に於いては法律さえ解釈を悖るを厭わない勇気と自信が国民の未来を預かる政治家達の資質としての必須を知れ!震災原発で地元を逃げ出すような政治家だけにはなるな!
今回ばかりは橋下さんを始め野党の群れには暗愚目先族と判断せざるを得ない。
国政に使われる1秒と云え国民の血税の浪費有るや無しやを肝に備え仕事すること肝要也。
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出版関係や写真家に評価高かった新潮社の月刊写真集『月刊・・・・シリーズ』誌をやっていた宮本さんがデジタルサイトで『月刊DIGITAL FACTORY』http://digital-gekkan.jp/を立ち上げた、私の他 荒木経惟・野村佐紀子・蜷川実花・イワタ・笠井爾示・松井康一郎・新田圭一氏たちが参加していて、アイドル・タレント系グラビアサイトとは一味違う世界観の写真編集で展開して行く、毎月随時作品は増えるわけで其の内に可成りの質量を持つ写真サイトになって行くと思う。
私は写真作品は勿論このデジテク時代実験的な作品も出して行くつもりだ。
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此の間、私が19才で写真家故杵島隆さんに弟子入りした頃のスタジオにはデザイン部があって故浅川寅彦さんと中山泰次郎さんがいた、お二人はアイビールックで格好良く、名古屋から上京した私にはピカピカに眩しかった。酒好きの浅川さんは早世されたが親友の中山さんはタイポグラフィーひと筋に頑張ってこられて、集大成展が青山であり、久し振りの回合であった、何と云っても52年前、半世紀を超えた知り合いである。
同席した中には名古屋時代の同級生もいて級長だった二村君が何時何処で集ったか忘れたが、当時東京での既に亡くなった友人追分君も元気に写っている写真を送ってくれた。
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膝関節のオペやリハビリで一年近くプロレスラー・武藤敬司・はリングから離れるとのことで、その間に今まで彼の世界で展開して来た色々な、情報、表現とは一味違った世界を創造出来ないか打ち合わせをした。
IT.デジタルは勿論極アナログ的なものも含め、此処一発巨視的な世界観で、何が出来るか発想してみたい。
コアなる素材・武藤敬司・は何時会っても身体が発言していて単純な意味でのオーラ等とは違う・ナニカ・を感じて仕方がない。 写真は左が写真及びアートのキュレーター長澤さんに全日本プロレス社長内田さん。
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グレート・ムタ ⇒ 武藤敬司 ⇒ ポストスーパープロレスラー
台北での個展打ち合わせに先年訪台したおりの縁で武藤敬司さんに会って来た。
打ち合わせたのはデジタル世紀のスーパープロレスラーを創ると云う事。
超時代な超面白ムーブメントを武藤敬司を強力ガッツコアとして具体する事だ。
IT・デジタル関係者を始め私の指に、留ったろって人、私の指は何処までも伸び伸縮し自由闊達ゆえ・・・歓迎する
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六本木で見かけた、路傍の石
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名古屋出身では戦後最高の仕事をしていた写真家の1人・東松照明・さんが先年亡くなられた、勿論名古屋はおろか戦後の写真家土門拳、木村伊兵衛とも並び称される写真家で晩年は沖縄を終の住処とされ意欲的に仕事をされていた。
昨夜六本木で・東松照明さんを偲ぶ会・が催され写真家、関係者が集った。
丹野章さんが挨拶で東松さんの仕事、人となりを話されて中でも1959年に結成したVIVOに付いての逸話は時代が想像されて興味深かったVIVO(ヴィヴォ)とは、1959年7月から1961年6月まで存在した写真に関する写真家集団。そのメンバーは、川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公であった。
其の活動は後年中平卓馬・高梨豊、多木浩二、岡田隆彦によって、1968年に雑誌「PROVOKE(プロヴォーク=挑発)」が刊行され、第2号からは森山大道も参加して居るが少なからず繋がって行ったのではないかと思われる。
東松さんは1959年の伊勢湾台風の被害状況を撮っているが、私は高校生で台風被害で連絡の取れない同級生をトラックに乗り継ぎ膝上迄に水に浸かって弥富の田んぼ道を延々と歩いた、周りに金魚養殖から溢れた金魚が泳ぎ彼方此方に水死体が浮かんでいたのを覚えている、既に写真には可成り興味を持ち出している頃でもあった。
東松さんの写真で最初にインパクトがあったのは・家・シリーズの古い台所に置かれた鍋の写真で、其の質感に写真と云うのは・・・という強い印象を受けた。
写真は左から高梨豊さん荒木経惟さん森山大道さんです。
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六本木のZen Foto Galleryで写真家・橋本照嵩・さんの個展のレセプションに行って来た。
40年程前になるかな撮り下ろし写真集にした・瞽女・が再び世に出て来た。
若い人で瞽女なる世界を知る人は少ないと思えるが長くなるから各自検索されたらよい、文献には室町時代までに遡るが旅する女性の盲人芸能者で今は途絶えて永い、歌手の宇多田ヒカルさんの祖母が瞽女であったとある。
Zen Gallery のキュレーターMark Pearson さんはイギリス人で日本の写真を海外に紹介している人で目の付け所が良い、下手すれば時代の中に埋没してしまいそうな作品に眼を付ける、瞽女は文献としての記録としても貴重で橋本さんの眼を通した写真は良いですよ。
Markさん曰くパリからも打診があるようで、Markさん是非橋本さんを世界に連れてって下さい。橋本さんは写真家.沢渡朔.さんとも同級生とのことで現在は出身が東北で、震災にあった人々の写真を何度か通いつつ撮っているとのことで、殊更誇張し狙い写した写真とは一線を画した橋本視線に見習うこと多々である。
写真は左から当日橋本さんとトーク・イヴェントのゲストをされていた写真家・北井一夫さんに写真家・橋本要さんに橋本照嵩さん、桜は満開なれど花冷えのする六本木は随分の人手であった。