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CG MIDNIGHT PARTY in 代官山・蔦屋書店



代官山に何時出来たのか蔦屋書店がある。元航空会社の社員寮だったかと思うが可成りの広さで何棟かのガラス張りの建物があって、其れ等がガラス建築特有のモダンっぽく頑張ってなくて、夜だったが気持ちよいスペースだった。各建家が夫々の分野に別れていて夫々にBOOK コンセルジュが居て案内してくれるとかで、其の奧の方に・IVY PLACE・がある、此処が結構広くテラスも個室もあって落ち着いたレストランになっている。
其のIVY PLACEでCG誌加藤代表の発起で・ミッドナイトTTD・なる集まりがあった、トークイベント、書籍売場案内、歓談会があってCG誌創設者・小林彰太郎・さんがみえていた。
知る人ぞ知るだが其れ迄の車雑誌がメーカーの広報誌レベルで凡そメディアと云えるようなものではなかった時代に、暮しの手帖よろしく実際に車を購入して忌憚のない見解と情報を半世紀近く前に始め世の車好きは始めて車の何たるかを知るようになって行く、日本の車文化の中で最も重要な人である。
此れだけ車及びバイクを世界に輸出しながら、車が時代の中で文明器として如何なる位置づけをするか国もメーカーも限りなく無頓着で商売ばかりで金が正義とばかりに、其の立ち位置を予め失っている。
国も一元的な判断に基づかず小林さんのような現実的功績大な人に文化勲章とか考えられないものかね、全ての人が大小はあれど何れだけ車の世話になっているか考えたことも無いだろうな物事マイナス、マイナーばかりの視野では時代の本質は見えて来ない。
写真はドン・小西と加藤さんとマクラーレンMP4-12Cとです、当夜はフェラーリ458 SPIDERも来ていた、明らかに個性もハッキリしていてブリテッイシュ製のマクラーレンは男っぽく飾る感じは無く、空力.ダウンフォースから来る恰好で好感が持てる、一方458は格好良いのは勿論だがラテンライクな妖しいとも云える存在感で、此の車を生活の中で乗りこなすのは至難とも云え、車に乗せられた恰好で、其の先に行ける人が何人此の日本に居るのだろう。

 

深川飯 @ 清澄



上野国立博物館に曽我蕭白を見に行ったんだがチケット買って中に入ると、炎天下50分並べと来た、バカたれ死ぬわいと諦めて清澄の小山登美夫ギャラリーを目指した。日本人は従順なのか優しいのか偉いね、しかも観客筋は年寄りが圧倒的だったのに、誰かしら熱中症にならなければよいが、中国人が生活の為に並ぶのとは多様な意味合いで違うとは思うが、何処に行っても此の国の怒りを忘れた人心を思わざるを得ない。
ま、そんなことはどうでもよしとして1500円返せ!
清澄を歩いていて前に娘家族が近辺に住んでいたことが有って何となく町の気配が記憶を辿り歩くうちに深川飯を思い出し歩いた。
2.3回は行った記憶を頼りに歩き深川江戸資料館の真ん前の店・深川宿・に行き着いて食べた。矢張り美味しかったな、記憶にある味と云うのは恐ろしい程の引力を持っている訳で、歳いく程募る気がする。
写真の左側の椀が深川飯であるアサリ炊き込みご飯で、右の椀は其の飯かご飯かに味噌仕立てのアサリいっぱいの汁を掛けたもので、こちらの方が其の昔漁師が船で穫り立てのアサリをみそ汁にしてご飯にぶっかけて食したとも聞く、亭主も相変わらず元気で、彼曰く・この間来た客で91才になる人がハーレーダビッドソンに乗っていて免許証も更新したと・私もバイク好きは人後に落ちないが91とは中々である、歳如きで四の五の言うなと云う事だな、世の爺ども心せよ、と云うこととしよう。

 

Michael Kenna & BLD



打ち合わせに銀座BLD・GALLERYに行ったらマイケル・ケンナ写真展「IN FRANCE」をやっていた、独特の静謐世界は精緻を極め写真の持つ多様な表現を、高度な撮影並びに暗室作画技術を駆使し写真にしか出来ない世界を表している、お見事と云うしかない。
マイケル・ケンナを見る度に写真を始めた頃毎日半日以上暗室に籠っていた時代を思い出す、あの指先が停止液と定着液の酢酸により指紋が消えかかり薄茶色になっていたのを思い出す、あの時代こそが後の加納典明を創り出し支えたに他ならず、写真に拘らずだが技術者は如何に基礎的な技術を最初に叩き込むかが重要と云うことではないかな、マイケル・ケンナが如何なる感覚は別として作画術を使っているかは判るけど、今の私に即出来るかと云えば正直時間が掛かる筈で・・・時に自問自答。
銀座BLD・GALLERY⇒ マイケル・ケンナ「IN FRANCE」 6月3日迄。

 

日本カルミック・坂本三佳・共立製薬




世界・ふしぎ発見!のミステリーハンターとして活躍しているタレントの坂本三佳さんが、我が友高居さんが社長をしている、日本カルミック及び共立製薬のイメージ・ガールとして登場して数年に成るけど相変わらずカワユイ。
彼女のイイところは可愛さの中に品があることだ、30代女性誌・CLASSY・VERY・光文社刊等のモデルに良いと思うけどな、現行のファッションっぽいモデルも悪くはないが、矢張りささやかに現実感が欠ける。
モデルっぽくなく芸能人、役者っぽくなく・品良き素人っぽさ・が読者に繋がると思えるけどな、TBS番組キャラも良いしさ。
そんな彼女をお姫様ダッコしちゃまずいけど、付き合ってくれました、Facebook友達でもあるし、生三佳はカワユイ・カワユイ。

 

餃子はここだ!




特別餃子好きと云う訳ではないが、時に無性に食べたくなる時が有るよね、で紹介します私好みのNo.1餃子店をば。
所謂肉汁がジュワーって手合いの餃子では有りません、そんなのは巷に溢れ何でもかんでも肉汁ジュワーだったら美味しそうと云うのは、一億総何とかで其れで良いのと成るのが典明・きクぜ流・で時流の向こうをいかなくっちゃぁね。
味はと云えば野菜が細かくミンチに沢山入っていて先ず肉気より野菜を感じてヤヤ揚げた気味の食感が少しラー油効かし気味のタレで行くと此れが中々で癖になる、食い物如きでどうのこうのと云いたくないが、ハッキリお薦めである、元CX(料理の鉄人)の審査員としてのである、まぁしかし結局は好き好きで食べてみてのお楽しみとされたい。
兎に角ここ野沢屋の餃子は気に入って餃子と成れば通っている。
場所は恵比寿3丁目を東に北里病院方面に向かい1つ目の信号の左側先に暖簾が見える、宜しく。

 

MASERATI YOKOHAMA



以前、セレブ雑誌ACT4で軽井沢でマセラティを撮影したことが有るが、其の時にGran Turismoを持って来てくれた横浜の《マセラティみなとみらい》の山本氏が新たに《マセラティ横浜》と云う マセラティ・ブランド単独の ショールームとして、世界で初めての完全な戸建路面店舗を4月にオープンさせたお披露目があり行って来た。
写真に有る様に今や有名だが元ピニン・ファリーナのカーデザイナーKEN・OKUYAMAさん、車雑誌カーグラフィックの元編集長で今は社長の加藤哲也さん、マセラティオーナーの石田純一君と色んな人が集っていた。

 

FLASH Vs THE TENMEI



彼是20年にもなるかな、私独りが撮り下ろし広告頁もない月刊誌で桜田商事さんとのやり取りの果てに発禁状態になったH系雑誌[THE TENMEI]があるが、まあ良く売れた雑誌で最後の頃実売数月刊60万部を超えていた。
週刊誌・FLASH・が其の写真を載せたいとあって、助手が古いフィルムを引っくり返していた。
FLASHは取材もしてくれて雑誌撮影時のエピソードや、桜田商事さん其の手下メディア、記者クラブ、検察との経緯等諸々を聞いて行った、如何なる頁になるかな・・・。
写真は取材に来たFLASH記者さん豊沢君と私。

 

徳さん!



少し前になるが、半月くらいかな?徳光和夫さんのラジオ生番組にでた。ニッポン放送の土曜の朝「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」。番組の中で出ていたが、徳光さんとは旧知の仲で、同年代の(巳午会)という集まりがあって、面子は政財界、役者など錚々たるメンバーである。其の会は大体が料亭でやるのだが、徳光さんのダンス付きの「お嫁サンバ」は特筆もの。身体の動き素早し、なかなかである。
MCとしての徳光さんは、当たり前だが、私も今迄色々とインタビューを受けて来たが、こんなに話しやすいインタビュアーというかMCは、かつてなかったな。当然とは云え、昨日今日ではない。才能だ!徳さん、ありがとう。
尚、たった今、BS-TBSで「関口宏の昭和青春グラフィティ」にVTR出演している。テーマは、「蜂の一刺し」の榎本三恵子さんの写真集を撮影したことがあるが、その経緯を語ったものである。面白いよ。

 

甚六・帰還



甚六オーナー、Kohheiこと太田が半年オーバーでHAWAIから帰って来た。
何度も甚六HAWAI店には店の番頭若手と1ヶ月か長くても3ヶ月位で交代で行っていたのが、何がどうしたのか半年以上返って来ず、なにしてんだKohheiはって甚六男組連でアレコレ噂しきりであった。
矢張りKohheiが居るのと居ないでは店の盛り上がりも違う訳で、此の夜は日野さんドン小西にKohske とワイワイガヤガヤ例によって例のごとしであった、然りとて意味のないエール交換ごっこなんだが、些かは気が弾み時間が過ぎて行くのも悪くないものだ。

 

新宿2丁目・PIT INN・NADJA




パフォーマーToastie若しくは熱海宝子を撮りかけているが、新宿PIT INNで[秘宝感2012]と名を打ったフリージャズバンドにボーカルとして宝子が参加している、其のパフォーマンスを撮った。
ジャズ其のものは20代半ばから六本木MAXホールに入り浸り、笠井紀美子と世良譲トリオを毎晩の様に聴いていた時代もあったが、所謂フリージャズなる世界はスタンダードジャズと違い何処からがフリーなのかちゃんと聴いた事は無かった。
ドラムの斉藤良がリーダーとして2010年に[秘宝感]を結成してアルトサックス>纐纈雅代・ピアノ>スガダイロー・ベース>佐藤えりか・小鼓>石井千鶴にボーカルと云ったら良いのか熱海宝子と云う面子である。
サックスの纐纈にピアノのSUGAは技術的にもガツンとしてて良かった、ジャズバンドに小鼓と云うのは初めてだったが其の能ないし歌舞伎的な謡は違和感無かったな、もっと和的な音界を外して其れこそもっとフリーに跳んで発音発信したらいい、宝子の歌と云うか喋りと言うかは面白いのだが未だバンドの中に居る感じで、もっと外れて唯我独尊界音をと感じた、イメージに形等無いのだが、何か決定的な客を何らかのフォームで打ち崩すようなタッチが必要だな、客とは全てマゾなる群れでしかない。
バンド全体はと云えば個と個が未だ予定調和の中に居る、独り独りがもっと奔り切らないと、ノリとかキモチ良さとかでは無く、一々自分の知らない自分に行ってないとね、徹底した混乱かな。
ライブハウス新宿PIT INN近くに私が40年余も前、青年真っ盛りの頃夜を突っ走っていた時代のベースだったBARがある、六本木のMAXと新宿2丁目のNADJAは文字通り青春のリングであり舞台だった、酒と女とケンカの延々たる夜達だった。
撮影が終わりフラリと雨上がりの道を行くと直ぐ側にBAR・NADJAはあった記憶では木造の建物の感じだったのが白いタイル粧しをした店構えになっていた、誰がやっているのか未だ営業しているようだ、殆ど東京に戻った身だ其の内に覗いてみるか。

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from Tenmei

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