

銀座BLD・GALLERYから出す雑誌若しくは写真集或は両方の為のモデルに会った、ディレクトする長澤氏に彼女の個人マネージャー氏と、恵比寿3丁目の甚六で打ち合わせをした。
彼女は一種パフォーマーと云うか色んな事をやって来ているようで、只の女モデルと云うのと違い最終的には上がった写真を2人でアレコレとイジリたおしオリジナルしようかとか諸々アイデアが行き交った。
ピーター・ビァードのやって来た仕事と付き合いのあった有名人とか彼の生き方、詰り人生の話しや中でもイギリスの画家フランシス・ベーコンの事とか果ては50才で発狂した哲人ニーチェは梅毒が原因であったとか、普段余りしない話しが登って久し振りのマッカラン12年とともに盛り上がった。
2年程軽井沢の外れがベースになっていたが4月からか東京に拠点を作り、東京がベースとなり合間に軽井沢通いとなる。
さあ、東京でデカイ徒花を咲かしてみるか。
皆さん加納典明は東京に居ますから仕事に遊びと何なりとお誘い下さい、面白い事をやりませんか!

銀座BLD・GALLERY長澤氏ディレクトの雑誌の打ち合わせに行って来た、モデルの候補とどういった写真にして行くか話したが結局、広告写真でもあるまいし条件写真な訳ではないから、撮りながら方向が出て来る筈と云う事になって、兎に角撮り始めようと云う事になった。
何れ位の出稿になるか、あくまで以前やった月刊誌《典明》とは違って作品としてのチャレンジだから、どんな世界になるか楽しみとしよう。
まあしかし私が撮り下ろす女写真だから中途半端な写真ゴッコにはならない筈で、請うご期待と結う事にして下さい、世に出て行くのは少し先になるが。

少し早めのバレンタインライブに行って来た、マリーンをこの前聴いたのも六本木のSTB139だった。
殆どの曲は聴いた憶えのあるものだったが、当たり前だが流石と云うか只ならぬキャリアというか、マリーンを生で聴くとどういう世界に持って行かれるか、承知はしていても・中々だわい・と云わざるを得ず、ヤッパリ来て良かったとなる、この前の六本木より、あれだけ安定した歌唱力なのに何故か今回の方が良かった、マリーンマニアには此の安定したスタンダードジャズないしフュージョンを主にした歌唱力界が嬉しいのだろうけど、典天界から聴く癖のある私からすると、欲張りな話あの歌唱力を全く違ったアプローチと云うかチャレンジした世界を聴いてみたいと、ライブを聴きながら思わずにはいられなかった。
私の世界も含め凡そアートに関わる人間として、最も必要なのは安定より止まる事のない自己チャレンジに他ならず、其の危険の海を泳ぐ飽く事のない勇気が有るかと云う事で、目先の帰巣本能の繰り返しでは一度しかない人生が勿体無いと云うもので、矢張り固有に一度しか生まれない自分を、生きてる間に使い切らないと、人生死ぬ間際に走馬灯とやらが廻ると云う、要は廻ってからでは如何ともし難いと云う事です。
各々方、努々おかしなアイデンティティごっことか自分探しとかの玩具ごっこしてないで、己を己の戦地の先端に位置する事を意識しようではないですか、周り等貴方にとって単なる景色と思われよ、心の青年達よ突出せよ。
写真は私とマリーンにSONYの杉田君です。

暮れの銀座BLD・GALLERYでの写真展での写真集が来週以降に各書店とAMAZONで発売。
・ナディッフアパート
・shelf
大手書店(紀伊国屋さん等)には通常注文を入れて下さい。
またamazonでも販売しております。
・BLD・GALLERY(サイン入り)
・加納典明オフィシャルサイト(サイン入り)
何度も告知していますが、此の写真集[FUCK]は1969年夏に平凡パンチ,NY特集号でNYに行った折りにパンチの仕事が終わってから撮り下ろしたもので、当時NY在住だった写真家、タッド若松さんやパンチ編集者、石川次郎さんの協力を得ながら、草間弥生さんのパフォーマンスを始め白人・黒人を始めとした性を通して、当時の時代背景ヴェトナム戦争・サイケデリック・ビートニック・五月革命・BIG野外コンサート等々、若者文化が唸りを上げる状況に、私なりに人種差別、性差別に繋がる社会えの意見具申と云うか表現であったと思います。
此の作品は性格上なかなか世に出ず以前にも寺崎央氏がペーパーバックで出版しようとしたのだが、検閲機関の積もりか!取り次ぎが扱いを拒否した事がある。何千部かの本が廃棄された。勘違いも甚だしいわけで、お前等に文化を左右する権利と権限が何処に有るのかと言いたい。
媒体に出たのは、記憶に有るのはカメラ毎日と芸術新潮位だったと思うが、43年の時を経て世に出た訳で、漸くにしてガツンとした写真集として出版された。NY、ヨーロッパでも発売され43年前の写真がどう評価されるか楽しみと云うものです、何れ時を経れば希少本の一冊になると思います。お買い上げをば!!


銀座BLD・GALLERYで細江英公さんの約半年に渡る個展がオープンした。
佐久からトンボ帰りでレセプションに行って来た、細江夫妻は勿論たくさんの関係者が集っていた。
中でも森山大道に会うのは何十年振りかで、近年森山大道の活躍は目覚ましく、今更大器晩成でもないが森山ワールドは世界的な評価を受けての快進撃で、昔週刊プレイボーイの編集者加藤氏が平凡パンチでの典明ヌードに対抗するべく、ブレボケ写真でカメラ毎日等で評価高かった森山大道にヌードを何回か撮影依頼した事が有った、そんな事も有って人柄も含め何とはなしに彼にはシンパシイを持っていた。
其の森山が一時期助手をしていた先生が細江英公さんで、写真家としての評価は私が故杵島隆さんの助手をしていた頃から既に有名で、三島由紀夫の[薔薇刑]は写真媒体としては超傑作とされる。
細江さんの今回の個展は彼の集大成展といってよく6期に渡るもので、第1期オープニングの[鎌鼬]は伝説の舞踏家・土方巽・を秋田で撮影したもので、新宿アートシアターだったか四肢夫々をロープ4本で引っ張り観客の頭上を行く姿は瞼から去ることはない、時々新宿二丁目のナジャのカウンターで見かけたが25.6の私には眩しい存在であった。
其の頃のナジャはアンダーグラウンド文化人の巣とも云えて、最も普通文化人と云えば五木寛之さん位で、唐十郎主催の状況劇場に参加していた、役者兼人形師の若き四谷シモンも細江さんは撮っていて第2期に[シモン 私風景]として登場で昨夜のレセプションにも来ていた、ナジャ時代のシモンは当然周知の仲で、随分と細身になっていたのが気になるが、其の内に一度シモンを撮るかな。
写真の細江英公さんが持っている写真が印象的で、大きくして見せたい位で写っているのが・三島由紀夫・江波杏子・細江英公・森山大道・と勿論若き日の写真で、江波杏子さん魅力的で存在感に満ちてマジマジと見てしまった。
三島由紀夫を撮った[薔薇刑]は第6期4月25日からとある、此の作品は必見ですぞ。

東京を離れベースを長野に移し2年を過ぎた、光陰矢の如しである。
其の結果と云う訳でもないが、自身の過去と現実と未来を東京に居ては意識出来ない、感じる事が出来ないものが有ったと云って良いだろう、勿論其れ等は答え等ではなく茫漠としているのだが、私には今の年令と云う事も含め含蓄するに、19才で杵島隆さんの門を叩いてから50年と云う年月を克ってなく、映画のスクリーンを見るような将又走馬灯が廻るのを見るように、意識回帰できている。
年末に故杵島隆師匠と銀座BLD.GALLERYでのコラボ展と名古屋.名鉄百貨店でのキヤノン協力による個展は、写真家で有りながら極端に少ない私にして珍しい事だった。
1969年暮れに個展FUCKで世に出てからと云うもの、数多のメディアが雨振るが如く色々な事を、写真家と云う枠を超えた形で持ち込んで来て其れ等の殆どに関わった、生来の経験主義的性向とも相まって、他のメディアは如何なる人達が如何なる構造で如何なる感性で仕事しているのか興味心も大であった。
反面写真作家としての作品発表が行動力大の私にして少なく、又此れも多分に性格も含めて個人主義的で、団体とか協会とか何かしら連んだ形式の世界は苦手で誘いが有っても殆ど・一匹狼・で結構と社会を狭くしていた。
単純に東京よさようならと云っても現実は東京と関わらずにはいかない訳で、其れ等がたった2年余でどうこうある訳も無いが妙に私の中で、近未来と遠未来が垣間見えて来ていて少なからず楽しさが心の奥地で揺らいでいる。
名古屋でのキャンヴァスプリントフォトにペインティングした作品は見る人皆が一様に加納典明と繋がらず驚きを隠せないでいたのには、そんなもんかいと云う感じで私は受け取っていた。
此の作風は暫くは続けるつもりで、出来たら世界規模での展開と評価を目指し遠慮容赦なくやってみるつもりだ。
一方、普通のと云っては何だが所謂写真界、此れ又世界規模の写真界に向け機関銃弾とはいかない迄も随分な作品郡を発表出来たらと考えている。
太り気味ではあるが肉体は問題無しだし根性も揺らがず90位迄はいけるだろうし、近標的として此処5年が勝負とやるつもりで己から何が具体といて出て来るか楽しみである。
写真はBLD.GALLERYキューレーター長澤氏と六本木ミッドタウンで。
さあ、各々方来年は自身の過去形の概念.価値観を燃えるゴミに打ち捨て、次なる己の奥地にチャレンジと行こうではありませんか。


クリスマス前日、天皇誕生日の六本木ミッドタウンはイルミネーション見物なのか買い物なのか結構な人出だった。
三宅一生グループの総師、北村みどり女史の13年に渡る大業績。三宅一生作品をアーヴィング・ペンが撮る、しかも一度も一生氏撮影に同席せずと云うスタイルを13年とおした、である。
駆け出しの頃ファッション写真など写真にあらずとファッション写真は撮らなかったが、一生さんとは何とはなしに付き合いがあり、初期のサテン布による一枚布ファッションを撮った事がある、確か一生さんの全集の初期頁に載っていたと思う。
コンクリートしか建築素材は無いと考えているのか、建築家さんのミッドタウンのギャラリーは導線が悪くて見辛い、只一部屋大きな長形の部屋での7・8点同一スライドスクリーンは良かった、圧倒的と云ってよく2人の仕事をまざまざと目の当たりにした。
一生さんの作品は既にファッションを超えアートの領域にあって、ペンもまたファッション写真と云うより静物写真の極意を持ち込んだが如くの出来映えで、此のコラボレーションは可成り高度なアート世界に至っている。
其れも此れも北村女史の業績や大であって其のエネルギーと質の高さには、余人ならずともは遠く及ばない、人は在るものだ。
会場は満席で立ち見のひと多数で一度話してみたいと思う、ピーター・バラカンさんもいらした、当夜は何故かシャイっけが出てしまい独善的・断罪モードが出て来ないで何だか不完全燃焼トークではあった。

先週になるが銀座BLD.GALLERYでトークイヴェントがあった。今年90才で亡くなられた、師匠杵島隆さんとのコラボレーション展だった。
杵島さんの写真は桜田門にヌードモデルを絡ませたもので、考えるに結構インパクトのあるシチュエーションで、他にも私が助手をする以前の作品が多く凡そ4・50年前のもので初めて見るソラリゼーション物や2重3重にネガを重ねた作品で、ライトパブリシティ初代写真部長と云う立場からの出発を考えると、広告写真には多彩多様な写真技術が必要で、色々な実験的な作品があって、助手時代には知らなかった写真家杵島隆を意識させられた。
私の43年前にNYで撮った《FUCK》もオリジナルに何も手を加えない状態でペーパープリントし展示した、1月9日に発売の写真集もオリジナルをグラフィックの中島浩さんが力入れてくれ、東京印書館の総括ディレクター高柳昇さんが確り凝ってくれて良い写真集が出来た。
FUCKは文字どうり私のデビュー作と云って良く、今迄も点と点で出した事はあるがオリジナルな形で出るのは43年振りといった訳だ、1969 年のNYと云う事や平凡パンチ初めてのNY特集とか、初めてインフラレッドカラーフィルムとか草間弥生さんがやってくれたORGY・PARTYとか、26才の駆け出し写真家にはNY全てが(目から鱗)であった。

7日〜13日と云う一週間で終わるのは少々もったいない感じがした、規模といい内容といい充実した個展だった。
キヤノンマーケティングジャパン株式会社の協力でF120(1303cm×1940cm)サイズから54点の、キャンバスプリントフォトにサイズの大きな方から3サイズ20点以上に加筆した。素材とした題材はNASAの天体写真と、西福寺というお寺の江戸末期に6年掛けて彫られた木彫を撮ったものを、夫々デジタル処理をして更に筆を入れたと云うことで、銀座BLDギャラリーのキューレーター長澤氏が・・典明新境地に驚愕・・とツィッターしてくれ ま 良かったなと。
名鉄百貨店の会場には飛騨高山の家具メーカーが協力して頂き2社にお願いして、写真は日進木工社さんの作品でNASAの写真をリビングテーブルと椅子にあれこれアイデアを出して制作したもので、技術者の矢島さんが厄介な仕事を確りこなしてくれていい作品と成った。特に天板に張った写真が見事にジョイントされて輝いていた。
来場した人達も家具には興味を引かれたようで皆さんマジマジとみて少々驚きといった感じであった。
東日本大震災被災母子家庭えの応援と云うことで協力頂いた日進木工さんには深く感謝を申し上げます、有り難うございました。

名古屋・名鉄百貨店で開催していた個展「片目のツァラトゥストラ」が13日に無事終了した。
私の作品キャンバスプリントフォト(半数を加筆)と共に、展示した家具を制作協力して頂いた高山市の飛騨産業さんと日進木工さんには夫々ダイニングテーブルと椅子をお願いしました、上記の写真は飛騨産業さんにお願いした、西福寺の木彫に寄る龍をテーマにした写真をコラボレーションした作品で技術者、藤井知久さんには龍の足に付いてお骨折りを頂き感謝です。
個展に来られた皆さん一様に目を見開き驚きの眼で見ていました、通常の家具では有り得ない家具ですから、些かなりと我が意を得たりと云ったところでした。
東北被災母子家庭えの応援と云う主旨に協力頂いた2社様には心よりの感謝です、有り難う御座いました。
些々やかな売り上げ義援金は名鉄百貨店によって送られます、そして何よりも此の暮れの大切な営業繁多時にスペースをお貸し頂いた名鉄百貨店様に深く感謝を申し上げるものです、重ねて有り難う御座いました。
尚、協力頂き大助かりのプリント協力を頂いたキヤノンマーケティングジャパン社様、協賛頂いたセガサミーホールディングス株式会社、日本カルミック株式会社、株式会社マルハン、ピーアークホールディング株式会社、東和フードサービス株式会社、各位様に感謝申し上げます、有り難う御座いました。
日進木工さんの作品は次のブログで紹介します。