
旧知の写真家 鋤田正義さんが恵比寿の東京都写真美術館で集大成展とも云える個展を開き、其のレセプションに行って来た。
鋤田氏とはロンドンのチェルシーの街角で偶然会ったことがある。道の反対側を歩いている彼を見つけて「おーい!鋤田!」と声を掛け「何しに来てるの?」と聞いたところ「T-REXを撮りに来てるんだよ。」と云った・・・。当時のロンドンはBIBAを始めとしたサイケデリック真っ盛りのファッションで溢れ、鋤田氏と会った街の空気感を鮮明に覚えている。
私はN.Y.で草間彌生さんのパフォーマンスを撮影し、ロンドンにちょうど寄った時で、其のN.Y.で撮った作品が私のデビュー作「FUCK」だった、43年前のことである。
デヴィット・ボウイの有名なLPジャケットや日本でのコンサートなど、世界でデヴィット・ボウイの写真を撮った中で彼の右に出る者はいないと思う。その他、正にロックのスーパースター達のオンパレードの写真展で、写真にも写っているロッカー布袋寅泰さんも会場に来ていた。布袋さんとはほとんど面識は無かったのだが・・・、昔、西麻布のバー「アムリタ」で、週末毎にバンドが入るのだが、其の夜は元ショーケンのバンド「テンプターズ」のドラマーで今は亡き大口広司さんのバンドが出ていた。大口さんは度々私に「バンドやろうよ!」と誘ってくれていて、「ヴォーカルならやるよ!」と答えたりして。私は「アムリタ」にいる時は いつもかなり酒が回っていて、酔いに任せて其のバンドに飛び入りして即興の作詞で何の曲が判らないのに半分怒鳴りながら歌っているのを、客席から布袋氏が半分呆れて見ていたのを覚えている。随分前のことだが、其れ以来の回合である。
布袋寅泰はロックンローラーとしても勿論一級品だが、確か時代劇をやった事があると思うが、私がもし映画を撮るとしたら、主役に使いたい男だ。松田優作とは異なるキャラクターだが、どこか存在の奥深さを感じる。微妙な男としての存在感を持っている。
鋤田正義さんが世界にまたがり撮って来た写真はある意味歴史の証明でもあり、ここまでキャリアされたものを一同に見ると彼の仕事の意味と重さを感ぜずにはいられなかった。勿論全ての仕事に云える事だが、しっかりとしたターゲットに対し、多様なビジョンを持ちながら持続するという事が如何に重要かと云う事を思い知らされた気がした。いずれにしても素晴らしい写真展だった。

思い立って早朝に東京を出発。あちこち渋滞と事故の土曜日で、青森まで9時間掛かり、夜の7時15分から9時過ぎまで「ねぶた」を撮った。
随分昔に「ねぶた」は見に来た事があるが、超久しぶりに撮りながら、目の前を過ぎて行く巨大な太鼓や笛吹く人、飛び回るハネト達に混ざり、小さな5歳くらいの子供達もそこに混じり、練り歩いていく。
年齢差故か昔撮った時の記憶は無論定かではないが、多分に直感的に撮っていたと思える。しかし今目の前を行く人々を見ていると、今日の為に費やしたそれぞれのエネルギーや思い入れとが破裂している。中には疲れ気味の人達もいて、今回の撮影は人を撮るというより専ら「ねぶた」そのものを撮っているので、目の隅に入ってくる人々から感じるものが何故か健気で愛おしく思えてならない。
ハネト達が着物のあちこちに付けている小さな鈴が、跳ねる度にリンリン鳴るのだが、それが時に道に転がり落ちて人達がそれを拾いあっている。私も撮影しながら目の前に転がって来た鈴を拾い上げると、小さな子が寄って来たので、広げた小さな手のひらに乗せてやった。何でも其の鈴を拾うと幸運が舞い込むとかで、皆が鈴を拾っていた訳だ。
「ねぶた」そのものはダイナミックで鮮やかに輝き、類を見ない其の表現は、いろんな祭りがあるが唯一の世界を持っている。まぁ個人的な意見としては毎年テーマがワンパターンに過ぎないかと思える。題材を制作者自体もいろいろチャレンジしたいと きっと思っている筈だが、やはり伝統という枠がものを云うのか。いずれにしても「ねぶた」は素晴らしいお祭りだ。
撮影が終わり夜半前に青森を出てとんぼ返り。一睡もせず6時間で戻った。東京の朝は何となく静かで気持ち良かった。

本当に久しぶりだが、グラビアヌード?と云ってもモデルは着エロのスーパースター、人気抜群の、え?!って云うくらいの超美形・美ボディの《壇蜜さん》を撮った。媒体は「週刊大衆」の袋とじグラビアである。
かつて月刊典明、それは実数で広告ページも無い、私1人が撮りおろした月刊誌で当時は公称で80万部、実数60万部の売り上げをしていた。恐らく出版業界では記録的な部数で、其の記録はこの先誰も破る事は出来ないだろう。当然内容は・男の世界・で、見る男達をかなりソワソワさせた筈だ。
この世界の写真は、恐らく私にかなう、匂いたつような・・・ワールドは、そうは誰もが撮れるわけではなくて、久しぶりに撮ってみて、自分自身の数ある写真のタイプの中でも、やはり得難いゾーンだ。まぁここであーだこーだ云ってみたところで始まらない。興味の有る人は現物を見ていただきたい。発売はお盆前の2週合併号です。
それにしても、お姫様ダッコした壇蜜さんにチューされて、目を剥いてるオッサン・・いい加減にしろよ!

銀座BLDギャラリーで《中平卓馬:サーキュレーション—日付、場所、行為》展が7月22日まで開催されている。
この展覧会について高梨豊さんのトーク・イベントがあって、BLDに出向いた。
高梨さんは元より、中平卓馬さんも、森山大道さんも参加していた写真集団が嘗てあったのだが、それをプロヴォーグと云う。プロヴォーグとは、Wikipediaからの引用によれば、下記の通りである。
『provoke』(プロヴォーク)とは、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦らによって創刊された写真同人誌。1968年11月1日創刊。
サブタイトルは「思想のための挑発的資料」。写真や写真批評だけの写真界に留まるのではなく、1960年代という政治的であり閉塞的になりつつあった思想を、写真を用いて破壊しようと考えていた。
2号から森山大道も参加。3号まで発刊されたが、総括集「まずたしからしさの世界をすてろ」で廃刊。わずか3号と総括集の出版であったが、日本の写真史に残した功績は大きい。
ご存知の通り当時の社会状況は、パリの5月革命、ベトナム戦争、60年代安保、東大闘争、ウッドストック、サイケデリック、フラワーチルドレン、ヒッピー等々、学生や若者達が、今の青年達と違い、怒れる若者、として社会に向かって声を挙げ行動して、当時の大人達がいろんな分野で震撼するほど強力にメッセージし、社会と関係をしていた。
そういった環境の中でプロヴォーグは結成された。中でも写真家 中平卓馬氏は、精神の奥地へ向かう論理構造を表現せんと、思想家及び評論家 多木浩二と共にプロヴォーグの土台であったと思える。
BLDによれば今回の個展は、中平氏が1971年に開催されたパリ青年ビエンナーレに参加、単身パリに乗り込んで「表現とは何か」を問う実験的なプロジェクトを現地で敢行。
「日付」と「場所」に限定された現実を記録し、ただちに再びそれを現実へと「循環」させるその試みを、
後に「ぼくの写真の方法論の初めての現実化であった」と総括している、とのこと。
つまり、その日に撮ったものをその日に現像、及び伸ばしをして展示をしたということですね。
今回は写真家 金村修さんがプリントをし、良きプリントで、時空をさえもプリントされている気がした。高梨豊さんは、もちろん著名な写真家であり、尊敬する先輩です。私が若くてヤンチャな時代、新宿2丁目のバー・ ナジャでよくお会いしたことがある。今回随分久しぶりにお会いしたが、元気そうで嬉しく思いました。昔、彼の個展で、海岸で人がポツンと座っている写真があって、そのモノクロプリントを私が購入したのを失念していたが、当日その写真をBLDで販売していた写真集で確認した。今やそのヴィンテージプリントは価値あるものだ。どこかにあるはずなんだけど、探さなくては!
高梨さんのトークショーで、プロヴォーグのメンバーの1人で詩人 岡田隆彦氏とのやり取りを話されていたが、1つピンときたことがあった。
写真論はスーザン・ソンターグをはじめいろんな人が著しているが、現実に実存を通して写真行為をする写真家からすれば、論理・言葉を超えたゾーンがあって、表現しにくいのだが、虚空の中の・虚・感覚というのがあって、それがシャッターを押させる・・・。
詩人というエリアもほとんど感性領域を言葉という論理性を排したいが故に、云ってみれば感性言語として表現しているのではないかと思うが、洋と西を問わず古今 詩人は写真家というエリアに多大なるジェラスを意識及び認識しているのではないだろうか、何故ならば・文字や言葉・より写真は遥かに具体として見る者を殺戮する力を持っているからだ。

数日前の雨の夜、マセラティのディーラーを始めとして、主に横浜で手広く外車の販売をしている山本章博さんの声がけで、もう30余年になるかなぁ、懐かしき人と会うことになった。
山野エミールさん。
私が若くてヤンチャ真っ盛りな時代に、彼はモデルとして自動車のコマーシャルで出会い、何度か撮ったことがきっかけで、個人的な付き合いもあった。若き日の思い出の一つとして記憶に残っている。その後エミールはトレーディングビジネスを主体とした事業を数々手掛け、失礼な言い方だが、モデル上がりとしては有数の成功者である。
私と同様に車好きで、イタリアで毎年開催されるクラシックカーレース、ミッレミリアや、国内でのレースにも数々参加している。車雑誌等にも何度か登場していて、時につけ懐かしく元気で活躍しているなぁと予予思っていた。
そのエミールがマセラティのスーパーカーのオーナーであることから、山本氏を介して「今度食事でもしましょう」という話になり、雨の夜の食事会につながった。
麻布十番商店街裏の洒落た秘密めいたレストランで会食をした。そこで、これまた20年振りの顔に出会った。ニットデザイナーとしてパリでもファッションショーを開催し、ファッションデザイナーとしては日本で納税ナンバーワン!を何年も続けた齋藤都世子さんの孫にあたる齋藤佳名美さん。個性豊かな女性で、私と何度か仕事をしたこともあり、本当に久しぶりだった。都世子さんが居住されていた島根県の益田には、私も何度かお邪魔したことがあり、懐かしさ一入であった。
食事会は、良き記憶の人たちで華やいだ。エミールの話を聞けば聞くほど、男としても人としても、はたまたダンディズムとしてもなかなかの境地に至っていた。彼は居住地のひとつである群馬県みなかみ市の町おこしに一役買っていて、これまた偶然だが、齋藤さんも島根県益田市の町おこしに力を入れていて、お互い諸々の共通する課題があり、エールの交換をしていた。古い友人達が良き人生を送り一方ならぬ成功をしているのを見るのは心地良いものだ。
皆でお互いまだまだ未来はたくさんあると語り合い、本当に楽しい夜であった。山本君のナイスなプロデュースで記憶に残る一夜となった。
写真左から、レストラン「cast78」オーナーの高岡章子さん、私、エミール山野氏、セレブ雑誌「PAVONE」編集長小柳幸子さん、齋藤佳名美さん、そしてイケメンビジネスマン!山本章博氏。

大津での少年飛び降り自殺事件について、その知る範囲での事実にあまりと云えばあまり、強い義憤を覚える。
メディアを通して知ることの出来る、事の順序を想像するに、まず少年が、44人記名のアンケートによると、ひとかたならぬイジメを受けていたという事実。それは集団暴行・万引き強要等々、尋常とは云い難い生活を強いられていた。
其の過程で教諭に泣きながら電話で訴えたという。
しかしイジメは止まず、自殺の練習をしろと強要があったと、16人の生徒達のアンケートがあると云う。
その果てに少年はジャンプした・・・。
どんな思いであっただろうと想像することさえ出来ない。
両親はその後10月に2回、12月に1回、滋賀県大津署に生徒達への聞き取りを元に被害届の提出を申し出た。警察の返事は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断った・・・。
今月初頭にこのニュースが流れ、自殺練習を同級生達が強要したと云うところに相変わらずワイドショーレベルのメディアがとび付き。その後、いかなるイジメ環境に少年がいたか、それを知った上での教諭の立ち位置、大津署の対応、そして教育委員会の記者会見、という流れにあると思う。
先ず、13歳で命を終えなくてはならなかった少年の心情を思うと耐えられない。そこで事の如何を考えてみたい。
イジメと云うのは、人間が社会を構成・構造するにおいて、歴史が証明するようにいくら人智を尽くしたところで無くならないと考える。
それは教育期間のみならず、社会へ出て大人になってからでも同様である。
それとこれは違うかもしれないが、日本人が社会を構成しだして以来、特に近代においては近隣諸国の民への・恥を知れ!・と云いたくなるような差別・偏見意識、日本人特有の暗黒資質を憶わざるを得ない。
生徒達が、集団で彼をイジメながら、其の加害生徒達の中でランクも当然あっただろうし、脇の方で、関わらない事には何時被害者側に回るかわからないといった生徒達もいただろうし、もっと遠くから其の事実を見て見ぬ振りをした生徒達、彼らの罪も直接加害生徒達と同等か、それ以上の質の悪さを思う。
少年は先生に訴えたとある、此の先生と呼ばれるこんな馬鹿に四の五の云うのももどかしいが、イジメを認知しながら笑っていたと云う、話にならない。
関係の中で こいつがキーポイントであったと思える。
教育という職業は、仕事という領域だけでは括れない世界であるということをわかっているのか。そして当然、警察へ訴え出た親に対し、受け取れないと返した大津署の警察官資質。
それは長崎県で起きたストーカー殺人事件と酷似している。
福島原発の東電を始めとした責任或る関係者達の腐り切った資質とも同じくであって。
お前らは人間を相手にしておるのか!お前達を食わせている民を、扱い易いロボットか部品と思っているのではないか。
何よりも先に声を大にして云いたい。警察官よ、人たれ。人間であることを願う。
そして其の先に澤村憲次教育長以下の大津教育委員会が、例によって例のごとしのごまかし記者会見があったと。
日本全国の教育委員会なるものの人達に告ぐ、あなた達は社会的立場としての人間が窺い知れない。単なる社会的動物が、雁首揃えて茶番をしているに過ぎない。それで良いのかお前達。
そしてメディアが、自殺練習というところにキーワードを意識し、報道となったと。これは昨年10月の事件である。メディアのミーハー的資質をまた思う。
両親が民事で訴え出たのは当然であるが、両親の弁護士さんに云いたいのは、この事案は明らかに殺人教唆という刑事事件には他ならいものではと考えます、金の話で済む事ではありません。
明らかにそれにより一人の命が失われた事実、警察機構、検察機構、並びに司法の持つセクト主義、習慣、慣習への執着、全ては前例に則った資質。
人間が構成する社会、文明は止まる事はありません、常に新しい価値観、常識が生まれ続けるものです。
それを全て過去の事例・判例に則って現実を判断するのは、悪を、罪を助長するのみです。
素人考えとか、そういうことで判断されず、前例とすべく前え進めないものでしょうか。
また殺人という罪に対する罰として、民事においては金銭は当然のことで、それは全体を考えるに、滋賀県、大津市、教育委員会、教育長はじめとする管及び個人について、大津署も当然、直接的イジメに関わった多数生徒(此のガキ共を現実と遊離した甘い法律⇒少年法の俎上に載せるべき)及び其の親達(今更ながらどう云う家庭であるか)ある意味一番罪が重い主犯とも云える教諭、および学校、前例など関係なく、組織と個人両方に対する責任を金銭と云う形で其の罪を償わせるべきです。
こうして、単純な怒りを超えて、日本人の持つ資質にも踏み込まざる得ない事案の検証を、一人の命を代償とした上での現実として、社会的示唆とし、この国の民全てが考え話し合うべきです。
あらかじめ去勢され怒ることを忘れた民よ、事と次第ってことがあるでしょう。
少年の死に対し明らかに社会⇒詰り国民一人一人に責任があると自覚するべきです。
こうやって書いたところで、少年の実存は二度と戻ってこない。
親御さんや縁者を念うに、・・言葉が無い。
その答えの無い問いをどうしたらいいんだ!
生きることとは人とは人生とは・・・何で死ななきゃいけないんだ・と少年は暗黒の自動律の中で、どう意識し認識していたのだろう・・心より冥福を祈ります、失礼な言い方だが・懲りずに又生まれて来てくれないかな・・・。

カジってやりました!

今撮影しているパフォーマー「TOASTIE」の誘いで、出来たばかりの渋谷ヒカリエ8Fアートギャラリー(8/ART GALLERY)に行ったところ、企画運営する小山登美夫さんと会場で会った。彼は村上隆、奈良美智さん達をプロデュースする、日本の現代アートの世界で有数のキュレーターである。レセプションの忙しい中、私が現在目指しているアート・ゾーンの話をした。
デヴィッド・リンチの作品は、作品集でも見たことがあるが、映画監督が手慰みでやったこととは思えない程に創造性に富み中々であった。聞くところによると彼は映画というよりアート出身の人で、学校もアート系の出だそうである。其の過程で映像と云う世界へ足を踏み入れたのだろうが、2つのメディアを質高く行き来するのはきっと楽しい筈だ。アート・ハートと云うのは言葉にはなりにくいが、例えば二股掛けるような有り様も何ら本人としても矛盾はないわけで、より作品がダイナミックになっていくのではないかと・・・。

イカンことがある。我が肥満である。この間も人間ドックを受けたけれど、さしたる問題点は無かった。此の歳で至極健康で頑丈なのは良きDNAをくれた両親に感謝するほか無い。が、一番の問題は、やはり肥満!と云う訳で最近車も必需品だが、なるべく歩くように心掛けている。
最近替えたスマホには万歩計が付いていて、ダイエットには毎日体重グラフをつけることが、ダイエットにプラスとなる、こと程左様に自分の歩いた歩数を確認すると云う事はキッズレベルであるが何となく面白い。
歩くは良いが、私の右足は左より2.5cm短い。膝も135度位しか曲がらない。原因は35年前の事故に因るもので、長時間歩くには天候や優秀なサポーターが必須なのだ。今日は新しいサポーターを試してみたが・・・此の話は長くなるので次回にしよう。
写真は、昨日歩いた道すがらのワンカット。内容は、歩数16,181歩、距離11.33km、消費カロリー627.95kcal、脂肪燃焼量87.22gです。もちろん毎日こうはいかないけどね。週1此の位は歩かないと・・・。

この10月、銀座キヤノンサロンをはじめ、個展やサイレンサー展参加など展覧会が4つ程予定されていて、作品制作を急がねばという日々で、先日も軽井沢に1週間程籠っていた。今やろうとしていることは、ことさらアジア向けというわけではないが、やや仏教の気配がするような作品が多い。あとNASAの宙写真をもとに面白い絵をデジタル制作していて、其れ等を全てキャンバスプリントとし、主にアクリルで加筆している。予めデジタル処理をしたものが夫々力強いイメージを持っているので、加筆イメージがなかなか難しい。上はF120(1939×1303mm)から下はP10(530×409mm)までを制作している。未だ予定の段階だがそれらの作品全てを集めて来年3月辺りまでに勝どきで個展が予定されている。其の先に春以降台湾で割と大きなスペースで個展の話が進んでいる。あぁそれから、これも秋になると思うが、女世界の写真展を予定している。場所としては今のところ恵比寿で2ヶ所。内容はもちろんヌードありき!です。まぁ全て会期等々最終的に決まったら報告します。 ヤルノダ!典明!