
約、25年振りかな体重が72Kg台になったのは、少し妙な気持ちだ。
3ヶ月と7日間で8Kg弱落した事になる、糖尿領域からの脱出と云う目的が有ったにせよ、やれば出来るものだ。
しかし、食そのものは美味しさとは無縁の世界を彷徨う訳で、意思決定したと云う鍵が掛かっているにせよ、食域欲望は完全に閉ざされる。
歩いてはいるが5000歩が精々で傷めた膝を宥め賺しつつと云った案配で気休めに近い。
糖尿病の現実は想像より恐ろしいもので大事な友人を亡くしている、然れば何としても糖尿からのUターンは畢竟なのだが、人は何故未知なる未来に欲望し、食欲と云う原初的な欲望と云う一種幸せごっこ迄犠牲にして、今と云う時間を価値付けるのだ。

旧軽井沢ロータリー横の本物の珈琲を出す珈琲歌劇で、大人のための知的好奇心マガジン[ACT4]の打ち合わせに行って来た。
桐山秀樹さん同席で、何が軽井沢かと話しが弾んだ。
桐山さん[ホルモンを制すれば男が蘇る]講談社刊、新書版を5月20日に出版。
体調よく最近は1ヶ月に1冊のペースで書けるとの事、中々出来ないペースだ。

夏の一番熱い時に開催する、鈴鹿8時間耐久レースは過酷さに於いてバイクレースでは最たるものかも知れない。
私も25年位か前にBMWボクサーで参加したミントと云うバイクショップにLA からレース部品を調達して運んだ事があった、当時BMWでレースするのは珍しく部品等日本には皆無な時代の事で、レース結果は16・17位で完走したと記憶している。
もう1つドカッティのチューンアップショッブ《パワーハウス》の中野に頼まれてレース監督をやった事がある。
此の時はイタリアから呼んだレーサーが2・3周で転けて万事休すと云うのもあった。
島田紳介が16年振りにチームシンスケで出ると云う、頑張って欲しいね、辛いレースだけど参加した者にしか解らない、理屈じゃない時間を味わえて、完走出来た時には涙なしにはすまない。
処で紳介、俺にも参加させてくれない、レースは分かってる積もりだから邪魔はしないよう、専属カメラマンとしてさ、TBSにも話してよ。

昨日はライダーズクラブ編集長の死と午後にPCのサーバー[お名前.com]が前触れも断わりも無くホームページがダウンして使えず、ITの業界とはこんなもんかい、何故だと苛つき、丁度間が悪く助手がPCのホームページのタイトル等を操作していたタイミングで、お前がヤッタのかと怒鳴り上げ、割り切れない思いが巳を苛み《オーバー!》・・・散歩に出た。
少し風があって長袖なのに子寒く気持ち良い中、誰も居ない田舎道を歩きながら、竹田津の無念を想い、骨の髄迄アナログ育ちがデジタルグラウンドでややもするとドタバタしながら生きてる己を[どうなんだお前]と自問自答しながら行くと、田んぼのあぜ道に菖蒲が風に吹かれ揺れていた。
そう言えば東北被災地の瓦礫の中菖蒲が咲いていたのがあったなと、竹田津の死と東北えの献花はオーバーかも知れないが何とはなしにそんな気持ちが過り写真にした。

バイク誌《ライダーズクラブ》編集長、竹田津敏信さん、関西で雑誌の撮影中に前から来た74才の爺が運転する車がセンターラインをオーバーして来たのに正面衝突され首を骨折し死亡とある。
ライダーズクラブ誌は時代の変遷にバイクの本質を失わず、バイクのなんたるかを魅力をシッカリ伝えてくれて、私も長年の愛読者の一人で、最近のスーバーバイクの扱い方やライディングに関し解り易く、良いDVDが付いていて是は、この先貴重な実践的テキストであって、バイクに限らず色々な専門的ジャンルのマニュアル紹介情報があるが、竹田津さんが作ったDVDはバイクを知っている者ほど、其の貴重さを思う。
レースもやっていた竹田津が早々公道でミスする事は有り得ず、貰い事故死は割り切れない、実に悔しく惜しい。こういう事をヤルから神等信じない、非存在的存在を謳うなら本物を殺すな。
有難う竹田津さんご苦労様でした。
ご冥福を祈ります

4月5日の頸動脈検診のおりに体重が80Kgになろうかと云う肥満だったのが、エヘン、6月3日今日で73・1Kgと7Kg近く落ちた、3ヶ月での成果とすれば上出来として下さい。
炭水化物と糖質0の食で、しかも可成りシビアにやった結果です。
運動嫌いで膝にハンデがある私とすれば散歩も毎日とは行かず、週2・3日が良いところ、其れも精々5000歩位でやらないよりはましだが。
次の検診6月の末に体重とヘモグロビンA1cが何処まで落ちてるか楽しみと云うもの。
今日の朝は、麸[ふすま]製のパンでのサンドウィツチ、パンとは程遠いがパンを食べてると云う意識と云うか思い込みで食べる訳で自業自得とはいえ、トホホ、である。
検診が目標に達していたら、昼食だけ本物にしようかな。
国境の長いトンルネルを抜けると雪国であった、ではないが関越トンネル11Kmを抜けると雨が降っていた。
新潟の魚沼市にある西福寺に幕末の石川雲蝶の木彫によるレリーフと云うより彫刻・絵画・漆喰細工を撮って来た。
なんだかんだと六時間余の休みなしでの撮影で、久し振りに写真て感じだった。
写真は相手に被写体に何れだけの力が有るか、引力が有るかにも随分と左右される訳で、早々には引っ掛からない私も、天井は勿論お堂の一面に彫られた木彫には文句なしに引っ張られた。
此のては日光の左甚五郎の眠り猫が有名だが、西福寺の雲蝶はよりダイナミックだ、お堂の外の軒に彫られた鴉天狗は30Cm位まで寄って撮ったが、生きているかの如くで《なに奴だお主》とで云われている気がした。
200Km行った甲斐が有った。

独りで高速道を走っていて眠くなった、そんな時にかける音は決まってマイケル・ジャクソン、しかも大音響で。
必ずと言っていい程覚醒する、で聴きながら有り得ない思いが浮かんだ。
想像してみて下さい、東北大震災の最も大きな被害を受けた被災地で、恐らく今だ行方知れずの人達が眠っているだろう地で、其の真ん中で巨大な音響システムのもと、誰もが見知っていると思うマイケル・ジャクソンの一大コンサートをやったとしたら・・・・。
例えば[ビリージーン]をマイケルが天空に海に被災した地べたにあのステップを踏みながら高らかに歌ったとしたら、集まった何千何万と云う被災した人々はもとより、亡くなった人達の霊が、一時一瞬でもいい フッ と目覚めたとしたら・・・。
馬鹿げているかも知れないけど・・想像してみて下さい。

やっぱり梅雨入りか、やな季節だな。
一月か半クラウディな気分か、生煮えでハッキリせずガツンと来ず、ため息暮らしが続くと云う事だな。
籠ってPCと書き物と読書せよ云う事だ。
誰か我を呼び出せ、事と次第に寄るけどさ。

朝は晴れていたが、もう曇りだして浅間山は隠れてしまった。
早めの散歩がとても気持ちよかったのに、週間予報に因るとこの先ずっと愚図ついた感じで梅雨の先駆けかも知れない。
晴れるのと曇りや雨とは気分が全然違って、昔は天気の善し悪しなど気にしなかったが、今は随分と左右される。
朝起きて晴れていると胸がぱあっと広がるのを意識する。
4月5日に先年手術した頸動脈の定期検診がありヘモグロビンA1cが8・6 と云う糖尿だぜって値になっていて吃驚、是はイカンと、炭水化物と糖質0の食事にして40日間、ドッグで出た値が6・5に落ちていた、6月末の検診までに5・5には落とす事としょう。
ヘモグロ落とすに当たって参考になったのは、《糖質ダイエットで何の苦もなく糖尿病に勝った!》桐山秀樹著 扶桑社刊、が随分と助けになりました。
体重も40日で4・5キロ落ちて何だか体にすっきり感があって気持ち良く動ける感じで、行動が能動的になる気がして桐山さん有難うってところです。