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4/TAKO



タコ匹 タコ尾 タコ頭 タコ羽 。
タコも色々ですが、此の中で最もタコなのはどのタコでしょう ?
云うまでもないですね。
タコ説に付いて・・ 多分、関西方面のスラングと云うか俗説として、些か言葉としてはダーティにしてお勧め出来るようなレベルのモノでは無いが吉本の漫才師、タレントが使い回す。
私に於いては言葉と云うのは国語に法った有り様が常識と云うものだが、予々世間の常識が終わってから私の常識は始まると宣っている手前、此のタコに付いても勝手な理解と使い方をしていて、もう何十年にもなる。
撮影時、時に付け助手が色々とこちらの回転に付いて此れす゛叱る折りに・・此のタコ!・ってな案配でつかうことがある、又友人知人が何かの折りにドジっぽい言動の折りにつかう。
そして私自身が仕事、遊び等諸々の折りにドジっぽい時に自身に向かい云うともなく自嘲を込めて呟く時がある。
しかし、助手を始め友人知人に対しても、此処が肝心なのだが単なる否定、侮蔑ではなく、微妙に其の意に強弱が有って、侮蔑的ではあるが裏側に心なしか温かさ優しさ慈愛と愛着が含まれていて、実に微妙なコミニュケーションでついつい其の語呂の使い易さからパッとインスピレートする、其れでも相手に因り其の裏を感じない人も居るわけで其所も面白い、写真の4TAKOのタコ度タコ質タコ色タコ識はどんなんでっかねえ。
 インドネシア・バリ語ではタコのことを・グリタ・と言います、今は亡きTONOZUKAが教えてくれた。

 

夫々に



杵島隆師匠のお別れ会で、お互い随分と久し振りに会った写真家仲間です、紹介するまでもない夫々写真界では名を馳せた人達で。
写真向かって左が・沢渡朔・さん、真ん中が・坂田栄一郎・さんで右が私。
沢渡さんは女性写真の第一人者の一人で、長きに渡りずっと一貫したスタイルを通し変わらない、沢渡さん確か父上か母上が詩人で彼の写真にも何処か其の気配がする。
坂田さんは雑誌アエラの表紙を長年撮り続けている写真家で若い時にNYでリチャード・アヴェドンだったかアーヴィング・ペンのアシスタントを経て日本に帰って活躍している、無類の競馬好きである。
こういった機会でもない限り写真家同士が会うことは滅多になく、若干懐かしく夫々どうしているかと云う話しにもなり、夫々が夫々に紆余曲折しつつも己の信じる生き方を通しているなと思い、世の不景気を始め写真家全体が生き難い世の中を思わざるを得なかった。
私も、四の五の言ってないで再び下界に下りて桜田商事だろうと何だろうと去勢された中庸の民が、目先的コンビニエンスライフにより失った、自然と人、社会と人、の価値観の根本的な再構築を行動として暗中模索せねばならないし、矢張り何処迄もガツンとした生き方を通そう。

 

何処の誰?



昨夜は杵島さんの送る会が終わってから、ドン小西に声を掛けて甚六で一盛り上がりをして、プラチナ通りの・カフェ・カルバ・に流れ、何処の誰かは知らないオバサンと戯れてるの図であります。
其れにしても眼鏡のオッサンのデレ顔ったらないね、慚愧。

 

杵島隆さんの天上昇還を見送る会



写真家・杵島隆・さんが冬の終わりに亡くなられた、享年90才。
震災のため予定が延びて昨夜虎ノ門の霞山会館で開かれ多くの写真関係を主に沢山の方が集われた。
杵島さんは私が19才の時に上京し弟子入りした、当時秋山庄太郎さん達と並び称される高名な写真家でした。
21才迄の2年間助手として教わりました、先輩にタッド・若松さん、同輩に今や有名なオルゴール・アーティストとして海外でも名を馳せている村井康二さん、知らなかったのだが後輩に三好和義さんが来られていて、へえーそうかといったおもいであった。
ご存知かとも思いますが三好さんは現在、風景写真において克ってなかった境地を、当たり前だがデジタルの時代アマチュアでも偶然プロ紛いの写真が写る時代に、到底遠く素人には及び得ない写真を撮っていて、我々プロからしても感嘆するところ大であって、何よりも目の前の世界に真っ正面から衒いなく堂々と向かっている有り様が素晴らしく見習うところ多々である。
杵島さんは私が杵島スタジオに入る前ですが皇居桜田門にヌードの女性を立たせて撮った写真が有って、今見てもよく撮ってるなと云える写真で、昨今篠山紀信さんが東京の街中でヌードを撮って物議をかもしたが、杵島さんの写真は、何と云っても背景が皇居、展覧会が終わってから警視庁が来てジープで警視庁に連れて行かれ取り調べを受け、聞いた記憶では始末書を書いて一件落着とのこと、写真は没収されたとか、何れにしても先生ただ者ではない。
後年、杵島さんの其れとは事と次第が違うが、私も写真集[きクぜ]で杵島さんの桜田門外の変の真ん前のビルの桜田商事に呼ばれ10日間の監禁ツアーをしたことがあるが、此れは事情があって認めてしまったのだが、記者会見で最高裁までやると見栄を切ったのに自ら箍を外すことになり悔しい記憶として残っている。
其れでも杵島さんと私は何か勝手な思いだが繋がらせてもらっている感じが有って、師匠を思う度に頑張らねばと思う。
もう1つ杵島さん私と篠山さんの件の時代を考えると社会はどんどん保守化して行ってて、東京都の教育委員会等の性表現えの硬直振りは凡そ此の大都市の文化程度を現していて、夫々委員に世界を知れ、表現とはを知れ、アートとはを知れと言いたい。
其のトップに居る方は作家と云う本職を持つアーティスト石原慎太郎さんなんだけどね。
アーティストとは時代の歴史のページをめくる先兵なのだが、現在のアーティストの多くはビジネスアーティストでアートに寄り添う擬態者達が受けている。
民よ心眼を持つことだ。
写真は沢渡朔さんが会場で撮ってくれたものです。

 

マッチ優勝!



霧雨の中、東京を抜けアクアラインを通り千葉のザ・カントリークラブ・ジャパンに[第17回Mitsuyasu Cup]コンペに行ってきた。
一緒に廻ったのは平田修さん東尾修さんに近藤真彦さんといった顔ぶれで克って知ったる仲間と云うかワイワイガヤガヤ賑やかなラウンドだった。
前半マッチが久し振りと云うのに嫌に調子よく7番だったかなトリプルを叩いていなかったら2オーバーで廻るところだった、余りの調子良さに・ファントムマッチ・って呼んで冷やかしていたのだがパターもしっかりしていてナイスゴルフであった。
先週だったかマレーシアのGTレースでチームKONDOH は4位とのこと、そちらもシッカリ頑張っている。
Mitsuyasu・Cupとは3年前に銀座のピンのクラブ[グレ]の伝説のママ光安久美子さんが引退し何とはなしに彼女を冠にしたコンペとなった。
渡辺司プロ西川プロを2位3位に従えて何と優勝はマッチで、パーティでマッチは優勝なんて全く眼中になかったらしく茶道家の大谷裕巳さんが、優勝・マッチ!って声だかに叫ぶと、マッチびっくりして感激の体であった。
私のスコア?で何位ってのは、聞かぬが花として下さい、ヤレヤレ。

 

3 Wheeler MORGAN



3月のジュネーブショーで発表された、イギリス製の3輪車だ。
1913年にイングランド・ウィスターシャー・マルヴァーンに創業した車会社[MORGAN]は今でもシートの後ろ半分は木製のフレームでつくられている古典的な形式の車で、4+4、+8後継車、ロードスター、等がレンガ造りの古い建物で家族的な手作業による車造りをしている天然記念物的な車会社で、私も行った事があって社長の、ピーター・モーガンと話した事があるが文字通り古いイギリスの街工場と云った風情だ。
出発は3輪車で始まり4輪車えと時代と共に移って行ったのだが、今回突如として創業当時の3輪車が復活した。
前2輪後ろ1輪の3輪でエンジンはバイクのV型2気筒をフロントに横置きしてマツダの5MTミッションを通し後輪を駆動する。
私も以前+8を2台乗ったことがあるが、車の快楽の頂点はライトウェイトボディでオープン、ハンドリングとサスペンションが成る可くダイレクトで、エンジンは自然吸気のピーキーちょっと手前で馬力は過剰にはいらない、に尽きるのだが、今買えるので何と云えば・ロータス・エリーゼR・かな。
で、私が基本一番好きな乗り物と云えば、モーターサイクル、オートバイです、此ればっかりある程度バイクの奥地まで行った者しか分からない世界が有って、多分終世去ることはないと思う。
今回のモーガン3ホィーラーは丁度、車とバイクのハーフといった乗り物で・・・面白いぜ !
興味ある方は・ http://www.morgan3wheeler.co.uk/news.php?id=11 ・にアクセスされると良い。
何れ欲しいと思っているが1ポンドが¥130としてイギリスプライスが25000ポンドのが日本プライス¥5,155,000とちょっと高いな、オーダーして約1、5年待ちとか。
何時の日か10分も行けば殆ど車の通らない峠のマイ・サーキットをぶっ飛ばしたいな。

 

甚六



甚六ハワイも好調で結構な事だ、ハワイでお好み焼きをやると聞いたときは、20年余前になるがハワイと東京半々に暮らし、知人のビジネスに些か参加した経験から、当たり前の話しだが全てのことが日本とは違うから、日本を持って行くなよ等々云い云いして、心配もした。
しかしオーナー太田は矢張り心配無用、頑張り通し何でもハワイ州ではトップの飲食の成績とか、やるもんだ、伊達に男ぶってる訳じゃないよな。
ドン小西と久し振りのコウスケとグラフィックの高橋君と3時過ぎ迄、みんなテンション上がって深酒だった。
尚、此処モダンお好み焼き[甚六]は東京プラチナ通りの下、恵比寿3丁目にあり、今私が展開している、キャンバス《画布》にキャノン・インクジェットプリントによる作品が展示されています、美味しい鉄板焼きにお好み焼きを食べながらご覧になって下さい。

 

典明写真館 Vol 1



今日は珍しく友人を撮影をした。
セガサミー会長・里見治さん、日本カルミック・共立製薬・社長高居隆章さん、茶道家・大谷裕巳さん、を撮った、克って知ったる人達で、云わずもがなだけど存在感たっぷりの男達を撮るのは面白く楽しかった。
撮ってて日頃の彼達のパーソナルと云うか気配は良く知っているつもりだが、彼等もスタジオでプロが撮ると云うのは、記念写真的な肖像写真はあったと思うが、私の写真世界で撮ると云うのは初めてで、無論プロの被写体ではないから、些かは夫々照れもシャイな性格も垣間見えて、実力者達の人としてのナイーブさを感じられて、皆さんの只ならぬキャリアを思うと友であることを嬉しく思われて一寸嬉しかった。
今、キャンバス[画布]にキャノンのインクジェットプリントをホームページに紹介してますが、此の方式は今回の撮影にはピッタリで上がりが楽しみだ。

 

軽井沢・タリアセン&マセラティグランツリスモ



今日は、大人のための知的好奇心マガジン・ACT4・の撮影を、軽井沢タリアセン、でして来た。
横浜から、マセラティみなとみらい、山本章博さんがマセラティのグランツリスモを運んでくれて緑濃い軽井沢の森の中の撮影だった。
タリアセンとは旧軽井沢に有った堀辰雄・有島武郎・野上弥生子・作家達の使っていた別荘を移築して、カフェを始め軽井沢文庫とかイングリッシュガーデンとかムーゼの森のエルツおもちゃ博物館に絵本の森美術館とか、フランソワーズ・サガン《悲しみよ今日は》の翻訳で知られた朝吹登水子さん別荘は、本来人造湖である塩沢湖湖畔移築して年月を経て最初から其処に有ったが如く館内共々落ち着いて佇み、とてもいい感じであった。
軽井沢観光協会会長・土屋芳春さんにも挨拶頂き皆さん撮影に良き協力を頂き、感謝の一日でした。

 

北の窓から



空がセルリアンブルーに抜けて雲が誂えたかのように白く輪郭し、部屋の温度23度湿度57%とTシャツで心地よく、季節の豊穣を想う。
上信越高速道の向こうに浅間山が黒くクッキリと稜線を張り、手前の田んぼの苗が確り根付き風に揺れている。
しかし此の景色惜しむらくは何だか分かりますか、電柱と電線が風景を壊しているとは思いませんか、全ての写真マニアが経験していると思うが、風景写真を撮る時、余程の奥地でない限り必ずと云って良いフレームの中に電柱が綯い交ざり、タコめ、と無言で・・・。
皆さんも何処の風景でもいいですから、ストンと眼前の景色と空気がキレイと感じたら、必ず電柱があるから、其処でイメージして下さい、意識的に風景から電柱を無き物として同じ風景をイメージして見て下さい、全く違った景色が目の前に有る筈です。
今更ながら為政と経済が為す効率とコンビニエンスが人の肝心な処を麻痺させていくか考えざるを得ない。

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from Tenmei

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