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世界の街道をゆく



忙しいのに個展にやってきてくれた写真家、横木安良夫さんです。彼はテレビ朝日の「世界の街道をゆく」という、世界の街角をカメラが緩やかに歩き、その街なり人なりを何となく温かく撮り込んでいる番組で、カメラをやっている。
彼は写真はもとより写真に関する本も出していて、一家言一見識あり、デジタルのソフトの扱いにも長けていて、参考になる意見も聞かせてくれます。写真でも何となくそんな感じがするかと思いますが、写真→行動力というのを感じさせる人です。・・・ナイスガイだ!

 

バイク仲間


個展会場で久しぶりの再会。右端の男は杉江と云って元々は写真家なのだが、船舶関係の仕事をしている男で、そもそもはバイク仲間である。彼はトライアンフ・ボンネヴィルに乗っていて、トラ使いとしては私の知っている中でも有数の乗り手だ。昔バイク雑誌「クラブマン」を立ち上げた小野勝司と写真家西口の4人で時々ツーリングをしていた。夫々バイクも外車に拘り、我ら中年暴走族と かっ飛ばしていた。杉江の話によれば、かつて私が乗っていた旧MVアグスタ&Sと2台乗っていたが、そのフェアリングの無い750の4気筒を回り回って西口が持っていたらしく、それを京都のバイク好きに結構な値段で売ったらしい。其のバイクには私も少なからず思い出があって、イタリアンならではの、まるでソフィア・ローレンのようなグラマラスなタンクで、そいつを富士スピードウェイで走らせたことがあるが、フレームが弱くストレートでヨーイングが激しかった。其れでも根性でタンクを挟みぶっ飛ばしていた。コーナーでバンクするとサイレンサーがガリガリと擦ってしまい、消音機を外し、飛ばすと轟音この上なかった。アグスタの4発は5000回転以上になるとカムに乗り、得も言われぬ爆音がFiscoに鳴り響いた。そうやってコーナーを攻めると今度はフレームが路面に擦れ、やはりサーキットのバイクではなかった。何十台とバイクは乗って来たが、忘れ得ぬバイクの1台だ。そうやって最もバイクを楽しんだ仲間達だが、小野勝司は亡くなり、杉江もバイクは降りているようだ。それでも久しぶりに会うとバイクの話に戻り、時が止まる

真ん中に写っている写真家長浜治は高校の同級生で、彼がN.Y.で撮ったオートバイ・ギャング「ヘルズ・エンジェルス」の写真は有名だ。彼自身もBMWのバイクに乗っていて一緒に走った事がある。とまぁ、写真家はカメラがそうであるように、メカに対するフェティシズムが強くあって、バイクや車好きが多い筈だ。職業が呼ぶ趣味の世界は限りなく広く、楽しいものだ。

 

四谷シモン・伊藤隆道



17日に銀座キヤノンギャラリーでの個展《カオ》が終わった、2年余PCソフトと格闘した素材をキヤノンでキャンバスにインクジェットプリントして更にアクリル絵具で此の夏加筆した作品で、全て私の撮った写真を使ったモノだが、結果表現された世界は写真なのか絵画なのか定かでない、
しかし予めジャンルアイを持って作品を見ると云うのは、もはや是だけ時代がデジタル化してくると意味を持たなくなって来ていて、あくまでも作品それぞれは作家が存在した時代の全てと関係している訳だから、悩み苦しみ楽しみ生み出された作品は其の全てを綯い交ぜたプロセスを表したもので、アートが論理でくくれる訳も無く見る人の直感を始め感性でしか結局のところ受け取れないと云う世界の摩訶不思議を思わされる。
写真向かって左の人は・伊藤隆道・さんといって動く彫刻を作る人として知られた人で、確か箱根の彫刻の森美術館にも展示作品がある筈だ、今月の31日迄・@btfギャラリー・で16人の合同展・Silencer・展をやっているが一人4mの壁面に作品を展示している、私も《カオ》展の作品系列のものを3点出しているが、伊藤さんも出展している、40年前Silencer展開催時に私の写真を2m×4m位だったかな大伸ばしして其れに無数のクロームメッキした螺旋を夫々モーターで回転させ点在させたコラボ作品を作ったのを覚えている。
年月去り、時の移ろいにインテリアの倉俣史朗さんグラフイックの青葉益輝さんが亡くなったのは遺憾なことだが皆確かに歳は経ているがアート系に関わっている人と云うのは何処か夫々の個性のせいか禿げたり皺寄ったりしてるが若く生気がある、皆100才位迄はやれよ!
写真右の人は人形師・四谷シモン・さんで知る人も多いが彼が20代の頃、唐十郎が主催する状況劇場の面子で新宿花園神社での紅テントによる公演に出ていた。寺山修司は天井桟敷とアングラ演劇が燃えていた時代の役者の一人だった。
シモンの人形師としての歴史は結構なものだが私が日常的に知っていたのは状況劇場の頃に新宿2丁目のバー・Nadja・でよく会った、ことさら話し込む訳ではないが、風のような奴で飄々とした風情を覚えている、Nadjaには土方 巽や唐十郎に寺山修司といった面々が時にカウンターに姿があった。

 

石川次郎⇒『平凡パンチ』2



続きです⇒  恐らく当時〈1969年〉一般紙も含め週刊誌で是だけ一冊丸々NY特集を組んだのは始めてでは無いかと思うが編集長木滑さんが次郎さんの提案を良く英断したものだ、1ドルが360円の時代で海外に持ち出して良い金額が一人500ドルとされていた時代のことだ。
NYロケは実に想い出深いもので20代半ばの3人は正に怖いもの知らずで、幾つかのゲリラ取材及び撮影を敢行した。
朝方ジョギングランナーが行き交うブルックリンブリッジに赤いマットを敷いてヌード撮影⇒エンパイアステートビルが垣間見える角度でセントラルパークの草むらでヌード撮影⇒地下鉄の中、少なめの乗客の中でのヌード撮影⇒エンパイアビルの屋上でヌード撮影⇒ランチタイムのウォールストリート、ビジネスマンが行き交う五叉路の真ん中でヌード撮影⇒当時未だ治安が最悪だった頃のハーレムでヌード撮影⇒ブルックリン側から川沿いの堰堤に裸のモデルを横たえマンハッタンをバックにヌード撮影・等々本当に今思い起こすと良くやったものだと・・・。
其の後、私の東京での個展の為の撮影にマンハッタンの上空をヘリで低空飛行で飛びながら、あれはスウェーデンの女の子だったな、機内で裸で横たわらせて裸体越しに窓外の夜のマンハッタンを撮り込んだ、ヘリの機長が撮影している後ろのシートが気になってしょうがないらしく、何度も振り返るのを同乗していたNY在住の写真家・タッド若松・さんが手伝ってくれていて、前見て操縦しろ!と何度か言っていたのを思い出す。
その後30代後半の草間彌生さんのイーストヴィレッジのスタジオで彼女が当時展開していたパフォーマンスを発売されたばかりのインフラレッドのカラーフィルムで撮り・・・其れ等が私を世に出した個展《FUCK》になって行った。
木滑さん次郎さんのお蔭である、結局物事は一人で出来ることも有るが、時代に釘を打ち込むようなオピニオンメッセージとなると時代とジャストタイミングでスケールを持った事でないと破裂しない、思うに彼達程 言い方悪いが《タマを持った》編集者には出会っていない・・時代のページを捲り時代に物申すことこそメディア人の 同時代者としての責任ではと考えるものです。
つまり、如何にコソコソ時代と寝ることしか知らないビジネスメディア人に成り下がってはいないか・・・ガッツある男出てこい!!

 

石川次郎⇒『平凡パンチ』



皆さんもご存知のことと思いますが、写真の男性は著名な編集者及びTVコメンテイター等々多彩なマルチメディアプロデューサーである、次郎さんとの関わりは40年余と古い、彼は現マガジンハウス社⇒は其の頃は平凡出版社と云い月刊平凡を始め時代の先取りをする出版物で名を馳せていた。
その始祖とも云える人が現取締役最高顧問・木滑良久・さんで其の右腕だったのが石川次郎さんで彼は当時の外国のエディトリアルにも長けていて、目の付け所が違っていた。
当時の若者文化の代表的な週刊誌として『平凡パンチ』があり恐らく電博を始め広告関係の時代を計るテキストにもなっていた。
私がパンチの巻頭ヌードグラビアを撮る切っ掛けを作ってくれたのは雑誌Hanakoをアイデアした矢張り当時パンチの編集者・椎根和さんで、彼とは青山三丁目にあったスナック〈マリーズショップ〉でよく飲んでいて、ママのマリさんは当時イラストレーター宇野亜喜良さんの奥さんで横尾忠則さんはじめグラフィック・ファッション・詩人・出版関係等々いろんな若き文化人達が集っていた。
そうやって椎根さんが何度かパンチでヌード写真撮らないかと誘ってくれた、当初私は〈パンチなんて世に害毒をながす雑誌だろ!ヤダヨ〉なんて云っていた、今の自分を思えば信じられない話だが、個人が時代と関わるタイミングは自身のチョイスもさることながら、矢張り人の力に他ならない。何冊か撮ったパンチのヌードが其れ迄のヌードグラビアとは違う世界を持っていたらしく、些かは売り上げにも貢献し・・・NYを若者視点で紹介とNY特集号をつくりに次郎さんとイラストレーターの小林信彦さんの3人でロケに出た、1ドルが360円の時代で、一人が500ドルしか持ち出せない時代であった。
 
・・・此の項続く。

 

男は黙ってサッポロビール



銀座の個展⇒《カオ》に日本でのキャリアと質に於いてNo.1と云える広告制作会社・ライトパブリシティ社・の現代表取締役CEO兼、これまた日本の広告コピーライターでは実積No.1の方で、名を・秋山昌・さんと云って三船敏郎がキャラクターをした・男は黙って・・の広告コピーは当時ズシンと誰もが胸に響き忘れられない名文句で有り、数知れない名コピーがある。
彼は私が写真家故杵島隆さんの助手をしていた20才の頃、講談社の仕事でよくスタジオに来ていて、終わると何故か良く私を飲みに連れて行ってくれた、人生で酒を教えてくれる人と云うのは誰しも有ると思うが、私に取って写真は杵島さん酒は秋山さんである。
作家トルーマン・カポーティなど当時誰も日本では知らなかった時代に注目していたし一味も二味も着目する眼が際立っていた、資生堂の広告写真を撮っていた故横須賀功光さんも新宿のバーで紹介された、名古屋から、東京で一番を取るんだ、と青雲の志いっぱいで出て来た田舎者としては皆さんピカピカに輝き眩しくて仕方なかった。
考えるまでもなく秋山さん始め公私にわたる先輩達の引きと云うか縁が、私を今日迄に道をつけてくれたと思わずにはいられない、実に先輩達の質と云うのが人生の彩りを黄金にするか否かとも云えるわけで、擦過していく日々の大切さを感じる。

 

東ちづるさん来たる⇒《カオ》



今夕、銀座の個展会場にちづるさんが見に来てくれた、久し振りに会った。
相変わらずシャキシャキと元気そうだ、想像していたのと私の作品が違っていたのか少々驚いていた様子。でも、とても良いとお褒めの言葉を頂いた。彼女は女優・タレント業だけではなく、色んなボランティア活動に携わり、かなり其れ等に力を注いでいるようだ。一時的な関わりならともかく持続することはなかなか出来ないものだ。本質的な理解と考え方を持っていないと出来ない。
まぁ、お互い生きた時代への関わり方の答えは一朝一夕にあるものではないが、やはり信じる己をメゲずブレず貫き通すことが肝要であって、其処に其れを行う人にしか解らない温度があると思えるし、やり甲斐があるものではないだろうか。何れにしても彼女の活躍は此の先も遠くから見続けていたい。

 

アフリカ帰りの⇒坂本三佳



TV番組・日立世界ふしぎ発見!・のミステリーハンター坂本三佳さん、取材で3週間もアフリカに行ってて時差疲れのまま銀座に個展を見に来てくれた。
彼女、日本カルミック&共立製薬のイメージ.キャラクターでの付き合いで可愛くシッカリもので好感度↑↑↑のタレントで・・私が若けりゃ彼女にって⇒・・・とこなんだけど。
  ダメデショ!典明君

 

森山大道 LABYRINTH@BLDギャラリー 銀座



昨日、キヤノンギャラリー個展展示作業が終わった帰り道、BLDギャラリーに寄った。森山大道氏の個展をやっていて、1950年代から今に至る様々な写真をベタ焼きを拡大した形で展示されていた。1枚が手札サイズより少し大きいくらいで、1点1点ちゃんとわかる。「へー、こんなのも撮ってたんだ」というのもいくつかあって、大道写真を再認識する。中には大きくして見たいなという写真も何点かあって、会場に大伸ばしした写真もあれば、と想像した。いずれにしても凝縮されたクールな個展だった。その森山大道氏、テート・モダン・ミュージアムで、あの・New York・Tokyo・Moscow・をかつて撮影し、ブレボケ写真で有名なウィリアム・クラインとのコラボ展でロンドン滞在中だ。BLDギャラリーのキュレーター長澤氏も同動している。写真家・森山大道は今や荒木経惟と並び、世界をマーケットとしつつある。結構なことである。
             斯く云うオマエも頑張れよ!

 

個展「カオ」



夕方まで掛かって、個展「カオ」の展示作業が終わった。協力してくれているキュレーター長澤氏は現在、テート・モダン「William Klein + Daido Moriyama」の為ロンドンに出張中なので、私一人での展示作業だった。が、ほとんど迷わず決められた。当初15点展示予定だったのだが、念のために5点作品を別に送っておいた。で、結局20点全てを展示することとなった。
結果、私にとって新ジャンルといえる表現にひと夏格闘した証がズラりと並び、勿論完璧でも完成でも満足でもないが、作品夫々が何かを語り合っていて面白い空間が出来た。
一週間の会期では惜しい気もするが、皆さん見に来て下さい。私は会場には会期中なるべくいるようにします。ヒュー!

http://cweb.canon.jp/gallery/archive/kanoo-kao/index.html

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